ヤン

デジタル大辞泉 「ヤン」の意味・読み・例文・類語

ヤン

前川康男の児童文学作品。自身学徒出陣経験もとに、戦争に翻弄される中国人少年ヤンの姿を描く。昭和42年(1967)刊行。第15回サンケイ児童出版文化賞受賞。

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精選版 日本国語大辞典 「ヤン」の意味・読み・例文・類語

やん

  1. 〘 接尾語 〙 人名または人を表わす語に付け、親しみ狎(な)れた気持を表わす。さん。ちゃん。
    1. [初出の実例]「おきやん、これから飯(まま)たきやんか」(出典咄本・諺臍の宿替(19C中))

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百科事典マイペディア 「ヤン」の意味・わかりやすい解説

ヤン

楊振寧。中国出身の米国物理学者。安徽省に生まれ,昆明大学を出て渡米しシカゴ大学でE.フェルミに学び,1949年フェルミと最初素粒子の複合理論を発表。1956年リー協同で弱い相互作用ではパリティが保存されないことを予言,ともに1957年ノーベル物理学賞。1949年プリンストン高等研究所員,1965年ニューヨーク州立大学教授。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヤン」の意味・わかりやすい解説

ヤン(3世)
やん
JanⅢ
(1629―1696)

ヤン・ソビェスキJan Sobieskiともいう。ポーランド王(在位1674~96)。有能な軍司令官として、オスマン・トルコ帝国軍との戦争で活躍したため、国王に選出された。初めトルコとの有利な講和を結ぼうとしたが、果たさず、オーストリアと結んで、トルコに対抗した。1683年ウィーンがトルコ軍に包囲されたとき、自らポーランド軍を率いてトルコ軍を撃退し、ヨーロッパに対するトルコの脅威を最終的に終わらせ、全キリスト教世界の称賛を受けた。その後、神聖ローマ帝国、教皇、ベネチア共和国、ロシアとの間に神聖同盟を結び、トルコに対抗したが、モルダビアの遠征には失敗した。内政面では王権の強化に努めたが失敗し、国政の混乱を収拾することはできなかった。

[安部一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヤン」の意味・わかりやすい解説

ヤン

「ヨハン[ルクセンブルク家]」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のヤンの言及

【ポーランド】より

…スウェーデン王カール9世は,ジグムントとの対立で自分を支持してくれた貴族に報いるため,1601年にリボニアへの侵入を開始した。スウェーデン王位とリボニアをめぐるスウェーデンとの戦争は,60年のオリワの講和でヤン2世カジミエシュJan II Kazimierz(1648‐68)が両者を最終的に諦めるまで断続的に続くことになる。とくに1655年に始まるカール10世グスタフ(1622‐60)の侵略はほぼポーランド全土に及んだ。…

【ヤギエウォ朝】より

…ポーランドの王家も第7代ジグムント2世アウグストZygmunt II Augustで男系が絶えて断絶する。こののち選挙王制下でジグムント2世の甥がジグムント3世として,またその子らがそれぞれブワジスワフ4世,ヤン2世カジミエシュJan II Kazimierzとしてポーランド王に選ばれている。これらの諸王は確かにヤギエウォ家の血を引くが,ワーザ朝Wazaの名で呼ばれることが多い。…

※「ヤン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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