カペー朝初代のフランス王(在位987~996)。ロベール家のユーグ・ル・グランの子。妃アデライデはカロリング家の血筋を引くといわれる。カロリング朝末期の西フランク王ロタールが986年、その後を継いだ若年のルイ5世が翌987年にそれぞれ急死し、直系の相続人が絶える。ここにおいてフランス公を称していたユーグは聖俗貴族に推され、ノアイヨンで王に選出され、ランス(またはノアイヨン)で聖別され、フランス王位についた。もっとも、ロベール家からは、これより1世紀前のウードをはじめ、ロベール1世、ラウールと3代の王を出して、カロリング家と対抗するという前史があった。987年の即位後まもなく、王位をめぐってユーグとライバル関係にあったカロリング系のロレーヌ公シャルル(ルイ5世の叔父)と戦い、ランス大司教アダルベロンの支持を受けてこれを倒し、カペー家の勝利を不動のものとした(991)。ユーグ・カペーの支配領域はパリ周辺とオルレアン地方に局限されていたが、フランスの政治的中心部に所領の中核を形成したことは、ランス大司教によって聖祓(せいばつ)され、神の意志に基づく超越的権威を与えられたことと相まって、重要な意味をもつ。彼はまた、選挙王制の原則にもかかわらず、生前からその子ロベール(2世、在位996~1031)を共同王位につけ、世襲王制への道を切り開いた。
[井上泰男]
カペー朝の始祖,フランス王。在位987-996年。ロベール家のユーグ・ル・グランの子。父と同じく〈フランス公〉を称していたが,カロリング家最後の西フランク王ルイ5世の死とともに,聖俗諸侯に選挙され,ノアイヨンでフランス王位に就いた。即位後まもなく,彼のライバルであったカロリング系のロレーヌ公シャルルとたたかい,ランス大司教アダルベロンの支持もあって,カペー家の勝利を不動のものとした(991)。彼が支配した領地はイル・ド・フランスに局限されていたが,パリとオルレアンの周辺に所領の中核を形成したこと,ランス大司教によって聖祓され,超越的権威を賦与されたことが,カペー王朝の礎石として重要な意味をもった。また選挙王政の原則にもかかわらず,彼は生前からその子ロベール(のちのロベール2世)を共同王位に就け,事実上男系長子相続制への道を開くという周倒な配慮を忘れなかった。
執筆者:井上 泰男
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…フランスの王朝。987年,ルイ5世の死によって西フランクにおけるカロリング家の血統が絶え,フランス公のロベール家からユーグ・カペーが選立されて王位についたのに始まる。以後シャルル4世がカペー家直系の男子相続人なしに死亡する1328年までフランスに君臨した王朝で,この王朝の誕生とともにフランス国家の歴史が始まった。…
…このノルマン人の攻撃に対してパリを防衛した指導的人物のパリ伯ウードは,888年にフランク国王になる。この子孫のユーグ・カペーが987年に聖俗貴族の集会で推挙されてカペー王朝が成立すると,パリは新しい発展の段階を迎える。
【中世】
[ルーブル宮とパリ大学の創建]
カペー朝のルイ6世(在位1108‐37)の頃より,パリは国王の恒常的な居住地となった。…
※「ユーグカペー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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