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ユーグ・カペー Hugues Capet

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ユーグ・カペー
Hugues Capet

[生]938頃
[没]996.10.24.
フランス王 (在位 987~996) 。フランス公兼パリ伯ユーグの子。フランスでのカロリング朝断絶に際し,ランス大司教アダルベロンの工作の結果,諸侯によってフランス王に擁立され,ランス大司教から王冠と聖別式を受け,カペー朝 (カペー家 ) を開いた。王威ははなはだふるわなかったが,存命中に長子ロベール (2世) を王として諸侯に承認させ,王朝持続の配慮を怠らなかった。

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百科事典マイペディアの解説

ユーグ・カペー

フランス国王(在位987年―996年)。カペー朝の始祖。フランス公ユーグ・ル・グランの子。ノルマン人の侵入を防衛して功績をあげ,諸侯に推されて王位についた。在位中王子ロベールを王位継承者と定め,カペー朝世襲制を開いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ユーグ・カペー
ゆーぐかぺー
Hugues Capet
(938?―996)

カペー朝初代のフランス王(在位987~996)。ロベール家のユーグ・ル・グランの子。妃アデライデはカロリング家の血筋を引くといわれる。カロリング朝末期の西フランク王ロタールが986年、その後を継いだ若年のルイ5世が翌987年にそれぞれ急死し、直系の相続人が絶える。ここにおいてフランス公を称していたユーグは聖俗貴族に推され、ノアイヨンで王に選出され、ランス(またはノアイヨン)で聖別され、フランス王位についた。もっとも、ロベール家からは、これより1世紀前のウードをはじめ、ロベール1世、ラウールと3代の王を出して、カロリング家と対抗するという前史があった。987年の即位後まもなく、王位をめぐってユーグとライバル関係にあったカロリング系のロレーヌ公シャルル(ルイ5世の叔父)と戦い、ランス大司教アダルベロンの支持を受けてこれを倒し、カペー家の勝利を不動のものとした(991)。ユーグ・カペーの支配領域はパリ周辺とオルレアン地方に局限されていたが、フランスの政治的中心部に所領の中核を形成したことは、ランス大司教によって聖祓(せいばつ)され、神の意志に基づく超越的権威を与えられたことと相まって、重要な意味をもつ。彼はまた、選挙王制の原則にもかかわらず、生前からその子ロベール(2世、在位996~1031)を共同王位につけ、世襲王制への道を切り開いた。[井上泰男]

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