日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ヨッフェ(Adol'f Abramovich Ioffe)
よっふぇ
Адольф Абрамович Иоффе/Adol'f Abramovich Ioffe
(1883―1927)
ソ連の外交官。ユダヤ系の富裕な商人の家庭に生まれ、10代から革命運動に加わった。ベルリン大学で医学、チューリヒ大学で法学を修めた。ロシア社会民主労働党に所属し、党内ではトロツキーに近い立場をとった。投獄と流刑を経て1917年、革命下のペトログラード(サンクト・ペテルブルグ)で活動、トロツキーのグループとともにボリシェビキ党に迎えられた。革命後、外交の分野で頭角を現し、ブレスト・リトフスク講和の全権代表団の一員、ついでソビエト政府初代駐ドイツ大使となった。さらに22年に駐中国大使に就任、23年1月に孫文と共同宣言を発表し、翌月には日ソ国交回復交渉のため訪日して東京市長後藤新平と会談を行うなど、初期ソ連外交に重要な役割を演じた。20年代を通じて党内スターリン派の台頭を批判し、トロツキーの追放とジノビエフの除名に抗議して自殺を遂げた。
[原 暉之]