ソ連の物理学者。液体ヘリウムⅡの超流動性の発見、ヘリウム、酸素液化装置の開発で知られる。7月9日クロンシュタットに生まれる。ペテルブルグ工科大学に学び、十月革命の翌年1918年に卒業、1921年にイギリスに渡り、ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所でラザフォードに師事した。α(アルファ)線の研究の必要から、当時としては画期的な30万ガウスの瞬間強磁場発生装置をつくった。1933年王立モンド研究所の初代所長に就任、極低温における金属物性研究のため膨張機関による新しいヘリウム液化装置を開発。1934年帰国、モスクワの物理問題研究所長となり、同研究所の建設を指導、超流動性を示す液体ヘリウムの理論的研究で1962年ノーベル物理学賞を受賞したランダウもここに理論部長として迎えられた。1938年、絶対零度近くで液体ヘリウムが細い毛細管やすきまを粘性なしに流れる超流動性を発見した。第二音波やカピッツァ抵抗など極低温研究における業績は有名である。第二次世界大戦中は、タービン膨張機による液体酸素の量産を実現して鉄鋼生産に貢献、レーニン勲章を受けた。液化装置における功績は著しく、今日使われている液化機の多くは基本的に彼の研究に負っている。1937年原子力会議の委員となったが、原子爆弾製造に関して協力的でなく、1946年から5年間、科学アカデミー会員を除くすべての公職を解任された。1957年から惑星間委員会委員長として人工衛星スプートニク打上げを指導した。「低温物理学における発明と発見」により、1978年ノーベル物理学賞を受賞した。
[常盤野和男]
ソ連の物理学者。サンクト・ペテルブルグの西のクロンシタットに生まれる。ペトログラード工業大学に学び,1921年イギリスに渡りケンブリッジ大学キャベンディシュ研究所においてE.ラザフォードの指導を受ける。そこで1920年代としては世界最大の瞬間強磁場発生装置(30万ガウス)を製作した。次いで同大学モンド研究所所長となり,断熱膨張機を用いた新たなヘリウム液化機を開発した。
34年,ソ連政府の要請に応じて帰国し,モスクワの物理問題研究所長となる。その後液体ヘリウムの超流動を発見し,さらに超流動相では音波が温度波として伝わることを見いだし,これを第2音波と名付けた。また0.1K以下の液体ヘリウムと接触している物質の,液体ヘリウムとの熱伝導が計算から期待されるよりも1/10以下と小さいことを見いだした。この現象を熱伝導におけるカピッツァ抵抗という。
第2次世界大戦中は原子力開発に従事する一方,タービン膨張機を用いた液化機の開発に成功した。この方式が現在液体空気,液体ヘリウムなどの量産型液化機の出発点である。このような多くの業績にもかかわらず彼は戦後水爆の開発に反対したためにたびたびの外国からの招聘(しようへい)にも出国できず,晩年30年以上にわたって研究活動の中断を余儀なくされていた。1978年ノーベル物理学賞受賞。
執筆者:渡辺 昂
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…超流動状態では,液体はきわめて細い管の中を圧力差なしに流れ,また,第2音波や噴水効果など種々の奇妙な現象が観測される。 液体ヘリウム4に,液体ヘリウムIIと呼ばれる相が存在することはW.H.ケーソムらによって1927年に発見され,これが粘性0の超流動相であることは38年にP.L.カピッツァによって確かめられた。また液体ヘリウム3の超流動相はアメリカのD.D.オシェロフらによって72年に発見された。…
※「カピッツァ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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