日本大百科全書(ニッポニカ) 「カピッツァ」の意味・わかりやすい解説
カピッツァ
かぴっつぁ
Пётр Леонидович Капица/Pyotr Leonidovich Kapitsa
(1894―1984)
ソ連の物理学者。液体ヘリウムⅡの超流動性の発見、ヘリウム、酸素液化装置の開発で知られる。7月9日クロンシュタットに生まれる。ペテルブルグ工科大学に学び、十月革命の翌年1918年に卒業、1921年にイギリスに渡り、ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所でラザフォードに師事した。α(アルファ)線の研究の必要から、当時としては画期的な30万ガウスの瞬間強磁場発生装置をつくった。1933年王立モンド研究所の初代所長に就任、極低温における金属物性研究のため膨張機関による新しいヘリウム液化装置を開発。1934年帰国、モスクワの物理問題研究所長となり、同研究所の建設を指導、超流動性を示す液体ヘリウムの理論的研究で1962年ノーベル物理学賞を受賞したランダウもここに理論部長として迎えられた。1938年、絶対零度近くで液体ヘリウムが細い毛細管やすきまを粘性なしに流れる超流動性を発見した。第二音波やカピッツァ抵抗など極低温研究における業績は有名である。第二次世界大戦中は、タービン膨張機による液体酸素の量産を実現して鉄鋼生産に貢献、レーニン勲章を受けた。液化装置における功績は著しく、今日使われている液化機の多くは基本的に彼の研究に負っている。1937年原子力会議の委員となったが、原子爆弾製造に関して協力的でなく、1946年から5年間、科学アカデミー会員を除くすべての公職を解任された。1957年から惑星間委員会委員長として人工衛星スプートニク打上げを指導した。「低温物理学における発明と発見」により、1978年ノーベル物理学賞を受賞した。
[常盤野和男]