ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1765~90)。オーストリアの啓蒙(けいもう)専制君主の一人。父フランツ1世の死後即位し、母マリア・テレジアとの共同統治の時代に、母の反対を押し切って進められた崇拝するプロイセン王フリードリヒ2世への接近政策は、1772年の第1回ポーランド分割となって領土を加えたが、バイエルン継承戦争(1778~79)ではフリードリヒの反対にあった。80年母の死後単独統治に入ると、翌81年寛容令、農奴解放令、その後も修道院解散、土地税制の改革、貴族の特権排除、産業の育成など急進的に改革政策を強行し、ドイツ語の強制による中央集権的官僚機構の整備は諸領邦貴族や非ドイツ系諸民族の反発を招いた。外交上もフリードリヒ2世による諸侯同盟の反対にあって失点を重ね、89年にはベルギーにも反乱が起こり、ハンガリーでも貴族の抵抗が続き、フランス革命に対する反動化のなかで90年2月失意のうちに没した。
[進藤牧郎]
ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1705~11)。レオポルト1世の長子としてウィーンに生まれる。1687年ハンガリー王、90年にはローマ王に選ばれ、スペイン継承戦争(1701~14)のなかで即位。弟カール6世のスペイン王位獲得のために尽力し、1710年にはカールのマドリード占領も実現したが、その年のうちに奪回され、ハンガリーの反乱を懐柔して鎮圧したものの、11年、2人の娘を残して天然痘で没した。
[進藤牧郎]
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