ヨーゼフ(読み)よーぜふ(その他表記)Joseph Ⅱ

精選版 日本国語大辞典 「ヨーゼフ」の意味・読み・例文・類語

ヨーゼフ

  1. ( Joseph ) 二世。神聖ローマ皇帝(在位一七六五‐九〇)。フランツ一世とマリア=テレジアとの間の長子。一七八〇年以降はオーストリア皇帝を兼ねた。啓蒙専制君主典型とされる。ロシア皇帝エカテリーナ二世と同盟してプロイセン対抗。軍制・官僚機構を整え中央集権国家の建設をめざし、八一年の農奴解放など進歩主義的な内政改革を試みたが、失敗晩年は領内の異民族の民族運動や外交政策の行きづまりに苦しんだ。(一七四一‐九〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヨーゼフ」の意味・わかりやすい解説

ヨーゼフ(2世)
よーぜふ
Joseph Ⅱ
(1741―1790)

ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1765~90)。オーストリアの啓蒙(けいもう)専制君主の一人。父フランツ1世の死後即位し、母マリア・テレジアとの共同統治の時代に、母の反対を押し切って進められた崇拝するプロイセン王フリードリヒ2世への接近政策は、1772年の第1回ポーランド分割となって領土を加えたが、バイエルン継承戦争(1778~79)ではフリードリヒの反対にあった。80年母の死後単独統治に入ると、翌81年寛容令、農奴解放令、その後も修道院解散、土地税制の改革、貴族の特権排除、産業の育成など急進的に改革政策を強行し、ドイツ語の強制による中央集権的官僚機構の整備は諸領邦貴族や非ドイツ系諸民族の反発を招いた。外交上もフリードリヒ2世による諸侯同盟の反対にあって失点を重ね、89年にはベルギーにも反乱が起こり、ハンガリーでも貴族の抵抗が続き、フランス革命に対する反動化のなかで90年2月失意のうちに没した。

[進藤牧郎]


ヨーゼフ(1世)
よーぜふ
Joseph Ⅰ
(1678―1711)

ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1705~11)。レオポルト1世の長子としてウィーンに生まれる。1687年ハンガリー王、90年にはローマ王に選ばれ、スペイン継承戦争(1701~14)のなかで即位。弟カール6世のスペイン王位獲得のために尽力し、1710年にはカールのマドリード占領も実現したが、その年のうちに奪回され、ハンガリーの反乱を懐柔して鎮圧したものの、11年、2人の娘を残して天然痘で没した。

[進藤牧郎]

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百科事典マイペディア 「ヨーゼフ」の意味・わかりやすい解説

ヨーゼフ[2世]【ヨーゼフ】

神聖ローマ皇帝(在位1765年―1790年)。フランツ1世の子。初めは母マリア・テレジアと共同統治。典型的な啓蒙専制君主で,宗教の自由を認め,また農民保護政策を推進した。しかしすべての改革は国家権力強化策と結びついており,それに対する国内の不満と外交政策の失敗のため改革は彼の死とともに瓦解した。
→関連項目啓蒙絶対主義フベルトゥスブルクの和約

ヨーゼフ[1世]【ヨーゼフ】

神聖ローマ皇帝(在位1705年―1711年)。レオポルト1世の子。スペイン継承戦争に活躍し,またドイツにおける皇帝権の伸張に努めたが,実を結ぶことなく早世。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ヨーゼフ」の解説

ヨーゼフ(2世)
Joseph Ⅱ

1741〜90
神聖ローマ皇帝(在位1765〜90)
マリア=テレジアの子。代表的な啓蒙絶対君主。宗教上では寛容令を発布(1781)し,非カトリック教徒にも信仰の自由を認めた。また農奴解放を行い,商工業の発展を促し,軍や官僚制度を整備するなど中央集権化を試みたが,ハンガリーなどの他民族の蜂起や国内の貴族層の抵抗にあい,改革は挫折した。

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