ラインハルト(英語表記)Max Reinhardt

精選版 日本国語大辞典 「ラインハルト」の意味・読み・例文・類語

ラインハルト

(Max Reinhardt マックス━) オーストリア生まれのドイツ演出家、劇場経営者。一九〇五年ベルリンのドイツ座支配人となり、以後新古典派、象徴派表現主義などの戯曲演出に新機軸を開き、絢爛・雄大な舞台創造で一時代を画した。三八年以降はアメリカで活躍。(一八七三‐一九四三

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デジタル大辞泉 「ラインハルト」の意味・読み・例文・類語

ラインハルト(Max Reinhardt)

[1873~1943]オーストリア生まれの演出家。俳優から転じ、ベルリンのドイツ劇場支配人となり、古典から現代劇までを大胆な演出で上演、演出術の可能性を大きく広げた。

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改訂新版 世界大百科事典 「ラインハルト」の意味・わかりやすい解説

ラインハルト
Max Reinhardt
生没年:1873-1943

ドイツの演出家。オーストリアのバーデン生れ。俳優としてO.ブラームに発見され,1894年からベルリンのドイツ座に登場したが,やがてブラーム的な自然主義を離れて1902年に独立。象徴的,新ロマン主義的な新しい傾向を示す作品《どん底》や《サロメ》の上演に成功して,05年にはブラームに代わってドイツ座の監督となり,回り舞台を駆使した《真夏の夜の夢》で演出家としての評価を決定づけた。〈劇場の魔術師〉とよばれた彼は,感覚的でスペクタクル的な演出によって,当時の禁欲的な自然主義にあきた観客をイリュージョン的な雰囲気に巻き込んだが,一方では演劇に〈真の演劇性〉を回復することを目ざし,新しい演劇空間の発見に努めた。06年に彼がドイツ座に併設した室内劇場(カンマーシュピール)は,いわゆる小劇場運動の嚆矢(こうし)であったし,また,観客と舞台の交流をはかるために狭い額縁舞台の枠をとりはずして,サーカス小屋,寺院,野外などでの上演も試みた。また,黙劇,オペラ,映画などにも手を染め,A.ストリンドベリ,F.ウェーデキント,表現主義の初期作品などの舞台化にも成功した。一時は私立劇場の側からベルリンの演劇界に君臨し,外国でも数多く客演した。

 第1次大戦後も5000人劇場を開場し,H.vonホフマンスタールと協力して〈ザルツブルク祝祭劇場〉を創始した。戦後全盛をきわめた表現主義演劇の抽象的,政治的な傾向には批判的で,一時はウィーンヨーゼフシュタット劇場に移り,ここで俳優を中心とする対話劇の伝統を守ろうとした。のち,ふたたびベルリンにも戻って,二都を活動の場としたが,時流からみるとやや保守的な立場におしやられた。1933年にナチスが政権に就くと,ユダヤ人の彼はドイツを離れざるをえなくなり,ドイツ・オーストリア合併の時期までウィーンで活動を続け,38年にアメリカに亡命した。映画《真夏の夜の夢》を監督した以外はアメリカでは十分な活動の場をもつことができず,不遇のうちに世を去った。
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百科事典マイペディア 「ラインハルト」の意味・わかりやすい解説

ラインハルト

ドイツの演出家。オーストリア,バーデンの生れ。俳優としてブラームに師事,1903年演出に転じ,1905年《夏の夜の夢》で成功。大劇場でホフマンスタールシェークスピアを上演する一方,室内劇場(カンマーシュピール)を創設し,イプセンハウプトマンなどの近代劇を紹介。大規模な舞台と生気ある演出で〈劇場の魔術師〉とよばれた。1905年ドイツ座支配人,1920年ホフマンスタールとともにザルツブルク音楽祭を創始,ドイツ劇壇の帝王的存在であった。1938年米国へ亡命。
→関連項目千田是也バティペルツィヒ民衆劇場ムルナウリーフェンシュタールルーシェ

ラインハルト

ベルギー出身のジャズ・ギター奏者。ジャズ界に影響を与えた数少ないヨーロッパのジャズ・ミュージシャンの一人。18歳のときに火事で左手を負傷し,小指と薬指が不自由となった。後に独自の運指によるギター奏法を編み出して,S.グラッペリらとのフランス・ホット・クラブ五重奏団Quintette du Hot Club de Franceでジャズの新境地を開いた。ジプシーの音楽に根ざしたギター・スタイルは,米国のジャズ界に新しい刺激を与え,1946年にはD.エリントンに招かれて渡米を果たしている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラインハルト」の意味・わかりやすい解説

ラインハルト
Reinhardt, Max

[生]1873.9.9. バーデン
[没]1943.10.31. ニューヨーク
オーストリアの演出家。本名 Goldmann。 O.ブラームらに認められ,俳優としてドイツ座に出演したが,1903年演出に転じ,照明,音楽,音響などを駆使して,戯曲の文学性よりも視覚的要素を重視した想像力豊かな舞台をつくりだした。ウィーンにおける『オイディプス大王』 (1910) ,ロンドンの『奇跡』 (11) などのスペクタクル的舞台が有名であるが,1920年代にはウィーンおよびベルリンの劇場で,古典から現代にいたる多くの作品を演出した。ヒトラーの台頭後は海外で活動を続け,34年にはハリウッドで映画『夏の夜の夢』を演出。 38年以後はアメリカに永住した。

ラインハルト
Reinhart, Johann Christian

[生]1761.1.24. ホーフ
[没]1847.6.9. ローマ
ドイツの画家,エッチング (銅版画) 作家。ライプチヒとドレスデンで修業,1789年以降ローマ,ナポリで活躍した。シラーの影響を受け,牧歌調の英雄伝説的な風景を描き,エッチングも制作した。

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世界大百科事典(旧版)内のラインハルトの言及

【演出】より

…また,スイスの舞台装置家アッピアAdolphe Appiaは,照明と彫塑的な装置による俳優活用の演出を主張した。 20世紀に入るとドイツのM.ラインハルトは豊かな想像力と構成力によって絢爛,雄大な演出力を示したが,すぐれた俳優指導者でもあった。ドイツではさらに叙事演劇の先駆者E.ピスカートルが政治的直接行動をめざすプロレタリア劇場を創設(1920)したが,彼の協力者であるB.ブレヒトによって,ひきつづき叙事演劇による異化効果が探究された。…

【キャバレー】より

…ウィーンでは1901年にザルテンFelix Salten(1869‐1945)によって〈ユング・ウィーナー・テアター・ツーム・リーベン・アウグスティン〉が作られてから,独自の伝統ができた。ベルリンには同じ年にウォルツォーゲンErnst von Wolzogen(1885‐1934)が〈ユーバーブレットル〉を,M.ラインハルトが〈シャル・ウント・ラウフSchall und Rauch〉を作り,ミュンヘンには〈11人の死刑執行人〉ができて,ニューモードとして一時流行したが長続きしなかった。ただドイツの大道演歌Bänkelsangの伝統を活性化したウェーデキントは,ドイツ的キャバレー(カバレットKabarett)の源流をつくりだした。…

【ディートリヒ】より

…そのような身についた感情の欠如と無表情が,のちに映画監督ジョゼフ・フォン・スタンバーグの目をとらえることになる。はじめマックス・ラインハルトの演劇学校で学び,ドイツの雑誌でグレタ・ガルボと比較される人気女優になっていた1929年,スタンバーグに認められて《嘆きの天使》(1930)のローラ・ローラの役に抜擢(ばつてき)され,〈脚線美〉と〈退廃的な美貌〉で全世界の話題をさらった。パラマウントと契約してアメリカへ渡り,MGMのガルボのライバルとして売り出され,《モロッコ》(1930),《間諜X27》(1931),《上海特急》《ブロンド・ビーナス》(ともに1932),《恋のページェント》(1934),《西班牙(スペイン)狂想曲》(1935)と6本のスタンバーグ監督作品に出演した。…

【ドイツ座】より

…94年にはO.ブラームの経営に移り,その監督時代にはイプセン,ハウプトマンなど現代劇を演目の中心にすえた。1905年M.ラインハルトが監督になると,私立劇場ながらベルリンの演劇の中心となり,多くの名優をそろえ,シェークスピアから現代劇までの幅広い演目を誇った。近代の小劇場運動でも先駆的な役割を果たしている。…

【リーフェンシュタール】より

…〈ナチス映画〉を代表するドイツの映画監督,女優。ベルリンに生まれ,美術を学んだのちバレリーナとしてマックス・ラインハルトの指導をうけ,アーノルト・ファンク監督に認められて山岳映画(《聖山》1925,《死の銀嶺》1929,《白銀の乱舞》1931,等々)に主演,ハンガリー生れの映画脚本家・理論家ベラ・バラージュの協力をえて,イタリアのドロミティ地方の山岳伝説を題材にした《青の光》(1932)を監督,主演する。ヒトラーに信頼され,1933年にニュルンベルクで開かれたナチス党大会の記録映画《信念の勝利》,つづいて34年党大会の《意志の勝利》,36年のベルリン・オリンピック映画《オリンピア》(《民族の祭典》と《美の祭典》の二部作。…

※「ラインハルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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