ライン同盟(読み)ラインドウメイ(その他表記)Rheinbund

デジタル大辞泉 「ライン同盟」の意味・読み・例文・類語

ライン‐どうめい【ライン同盟】

1806年、ナポレオンの保護下に結成された南西ドイツ諸国の同盟プロイセンオーストリアに対抗するためで、加盟国は最初16か国。これによって神聖ローマ帝国崩壊。1813年、ナポレオンの没落とともに解体ライン連邦

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ライン同盟」の意味・わかりやすい解説

ライン同盟 (ラインどうめい)
Rheinbund

フランスの主導下にドイツ諸邦が結成した同盟。(1)1658年ドイツ諸邦とフランスがウェストファリア条約遵守と反オーストリア勢力の強化をめざして締結したが,68年に解体した。(2)1806-13年,ナポレオンの保護下にバイエルンなど中小ドイツ諸邦が参加した同盟。別名ライン連邦。アウステルリッツの戦(1805)によってロシア・オーストリア軍を破ったナポレオンは,プロイセン,オーストリア両国に対抗する第三勢力を育成するために西南ドイツ領邦君主にこの同盟を結成させ,このため神聖ローマ帝国は崩壊するに至った。加盟邦(当初16ヵ国)は,それぞれ主権は保有するがフランスと攻守同盟を結び,各邦派遣の軍隊(総計6万3000人)によるフランスへの援助を義務づけられた。ティルジットの和約(1807)以後中部・北部ドイツにも拡大,加盟邦36ヵ国,兵力12万に達したが,ライプチヒの戦(1813)でナポレオン軍がオーストリア・プロイセン軍に敗れると,これを境に,加盟邦が相次いで対仏連合軍側に転じたため解体した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ライン同盟」の意味・わかりやすい解説

ライン同盟
ラインどうめい
Rheinbund

(1) 第1次 三十年戦争終了後の 1658~67年ドイツの新・旧両教徒の有力諸侯が結んだ同盟。ウェストファリアの講和後,フランスとスペインはなお交戦中であったため,自己の領域を守り,同講和を執行するために結成された。 (2) 第2次  1806~13年ナポレオン1世によって組織されたドイツ西部諸邦の連合体。 05年アウステルリッツの戦いでオーストリア,ロシア,プロシアの連合軍に圧勝したナポレオンは,ドイツにプロシア,オーストリアに対抗する勢力をつくるため,この同盟を結成し,各邦君主の国家主権を認めつつみずからその保護者 (プロテクトール) に就任。この結果,神聖ローマ帝国消滅した。最初バイエルン,ウュルテンベルクバーデン,さらに 07年のティルジット条約後にウェストファリアを加え,プロシア,オーストリア以外の全領邦を参加させた。なおその際に多くの小領邦,自治都市をそれぞれの諸侯に併合させた。フランクフルトアムマインに同盟議会がおかれたが1度も開かれず,実権はナポレオンが握り,同盟は最大6万 3000の兵力を彼に供出することを定められた。ナポレオンの没落とともに解体。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ライン同盟」の意味・わかりやすい解説

ライン同盟【ラインどうめい】

1806年ナポレオン1世が設立したドイツ諸国連合組織。ライン連邦とも。プロイセンとオーストリアを除く中小ドイツ諸国が加盟,これとともに神聖ローマ帝国は崩壊した。各国ナポレオン法典の導入などの改革が行われたが,連邦自体としてはほとんど活動せず,1813年ナポレオンの没落とともに解体した。ナポレオンのドイツ支配機構,傀儡(かいらい)組織にすぎなかったが,ドイツ近代化の契機を作った。
→関連項目イェーナの戦ザクセン神聖ローマ帝国リヒテンシュタイン

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ライン同盟」の解説

ライン同盟(ラインどうめい)
Rheinbund

①〔1658〕ライン川上・中流域の西南ドイツ中小国が結成した同盟。フランスも加盟し,フランスの対オーストリア政策に利用された。

②〔1806〕ライン連邦(連盟)ともいう。ナポレオンによってドイツ内につくられた諸国同盟。ナポレオンを保護者とし,もとマインツ大司教ダールベルクを総裁として,連邦君主会議により運営された。連邦にはプロイセンオーストリア2大国を除く全ドイツ諸国が加盟するに至り,各国でナポレオン法典導入などの改革が行われたが,連邦自体の活動としては,ナポレオンに6万3000の兵力を提供したのみ。13年ナポレオンの没落とともに解体。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ライン同盟」の意味・わかりやすい解説

ライン同盟
らいんどうめい
Rheinbund ドイツ語

1806年7月、ナポレオン1世の保護下で結ばれたライン流域の南西ドイツ諸国の同盟。ライン連邦ともよばれる。加盟国は最初16か国で、国土拡大、王国(バイエルン、ウュルテンベルク)や大公国(バーデンなど)への昇格と引き換えにナポレオンに6万3000の兵とその統帥権を与え、同年8月1日神聖ローマ帝国からの離脱を宣言した。同月6日の同盟成立は帝国の崩壊をもたらし、ナポレオンにドイツ支配の支柱を与えたが、同時に南西ドイツの多数の小国家の消滅によりドイツ統一への一歩前進をも意味した。同盟は11年までに直接統治地域とプロイセン、オーストリア2国を除く全地域に拡大され、多くの国でナポレオン法典導入や改革も行われたが、13年の解放戦争により消滅した。

[岡崎勝世]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「ライン同盟」の解説

ライン同盟
ラインどうめい
Rheinbund

1806年,ナポレオン1世がつくった西南ドイツ11か国の同盟。ライン連邦ともいう
オーストリア・プロイセンに対抗する勢力として結成されたもので,この成立によって神聖ローマ帝国は消滅した。ナポレオンを総督とするナポレオンの傀儡 (かいらい) 同盟であったが,同盟内に『ナポレオン法典』が施行され,それまでの封建制度の多くが廃止されて,西南ドイツの近代化に貢献した。ナポレオンの没落に伴い,1813年崩壊。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android