アメリカの造形作家。抽象表現主義からポップ・アートへの転換期に位置する重要な作家として知られる。テキサス州ポート・アーサーに生まれる。テキサス大学などで学んだのち、ノース・カロライナ州ブラック・マウンテン大学でジョゼフ・アルバースに師事した。1952年夏、この大学で作曲家ジョン・ケージらが主宰して行われたイベントに学生として参加。白いカンバスを壁にかけ、梯子(はしご)を使用した一連の「行為の芸術」を演じた。ピアニストのデビッド・テュードア、舞踊家のマース・カニンガム、詩人のチャールズ・オルセンCharles Olsenなどと行ったこの公演は、のちのパフォーマンスの先駆けとなるものであった。このころからケージの影響のもとに、白色のペンキを画面いっぱいに塗っただけの「ホワイト・ペインティング」、さらに黒一色の「ブラック・ペインティング」を制作し、美術作品を現実空間と同時に総合的環境のなかの事物としてとらえる発想を展開するようになる。1953年ニューヨークで最初の個展を開催し、翌1954年にはジャスパー・ジョーンズと出会い、共同して絵画を外界の日常的物体の一環として知覚させる新しい造形思考の探求を進めた。オブジェと抽象表現主義風の絵とを合体させた「コンバイン・ペインティングcombine painting」は美術界の注目を集めた。『モノグラム』(1955~1959)は油絵とその上に置いたヤギの剥製(はくせい)やタイヤ、板きれで構成されている作品で、その代表的なものである。
1964年ベネチア・ビエンナーレで大賞を受賞したことにより、世界的な画家としての地位を固め、第二次世界大戦後の美術の新しい方向を決定づけることになった。ジョーンズとともに戦前のダダイズムに用いられたオブジェを復活させたことから、2人は「ネオ・ダダ(新しいダダイズム)」とよばれたが、外界の日常的環境や現代の生活的側面に改めて焦点をあてた作風によって、1960年代に盛んになったポップ・アートの先駆的存在と考えられている。その作品は、写真をシルクスクリーン転写した絵画やリトグラフの版画、事物のアセンブリッジ(集積)による立体造形、パフォーマンスなど、きわめて幅広い。また、ラウシェンバーグは若いころから行動的で旅行好きな気質の持ち主で、インド、中国、チベット、ロシアを歴訪し、異文化との接触と刺激から現地で作品制作を行うことも多かった。1982年(昭和57)、日本滞在中に陶芸による版画制作を行ったのもその一例である。
作品制作の一方で、芸術家への経済的支援を目的とする「チェンジ基金」「ラウシェンバーグ財団」「ラウシェンバーグ海外文化交流」(ROCI、通称ロッキー)などの団体を設立した。とくにROCIは、世界の芸術家たちと共同して制作・展覧会を行うことによって交流を深め、世界平和のために役だてようというもので、1985年から1990年にかけてメキシコ、日本、ロシア、マレーシア、中国、キューバなど12か国を巡回して大成功を収めた。1986年東京の世田谷美術館でROCI日本展が開催され、また1993年(平成5)11月から1994年1月まで第2回ヒロシマ賞受賞を記念して広島市現代美術館において個展が開催された。1998年には世界文化賞・絵画部門を受賞した。ニューヨークにもスタジオをもつが、フロリダ州キャプティバ島で暮らし、2008年に世を去るまで、同地で制作活動を行った。
[石崎浩一郎]
『世田谷美術館・ROCI編『ラウシェンバーグ――ROCI日本展図録』(1986・世田谷美術館)』▽『リヴァ・キャッスルマン著、杉山真紀子訳『アメリカ現代版画――7人の巨匠たち』(1992・淡交社)』▽『『現代美術14 ラウシェンバーグ』(1993・講談社)』▽『広島市現代美術館編・刊『ロバート・ラウシェンバーグ展 第2回ヒロシマ賞受賞記念』(1993)』▽『国立国際美術館編・刊『ネオ・ダダの二人――ジョーンズとラウシェンバーグ』(1994)』▽『ジョナサン・カッツ著「記号の芸術――ジャスパー・ジョーンズとロバート・ラウシェンバーグ」(ホイットニー・チャドウィック、イザベル・ド・クールティヴロン編、野中邦子・桃井緑美子訳『カップルをめぐる13の物語――創造性とパートナーシップ下巻』所収・1996・平凡社)』
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アメリカの美術家。J.ジョーンズとともに,ポップ・アートの先駆的位置を占める作家。アカデミー・ジュリアン(パリ,1947)やアート・スチューデンツ・リーグ(1949)などで学び,ケージ,アルバース,カントールMorris Kantorらと知り合う。1950年代末,コカ・コーラの瓶や剝製や看板など,都市生活の廃物を使った作品を発表し,ネオ・ダダと揶揄(やゆ)されたが,抽象表現主義風の激しい筆触と〈物体〉とを同存させた〈コンバイン・ペインティングcombine painting〉には,現実の日常世界の躍動があふれている。やがてシルクスクリーンによって《ライフ》誌などの写真をキャンバスに転写したり,自ら独特のダンスを踊ったり,テクノロジーを使った大イベントを実現したりして,活動の範囲はきわめて広くなり,70年代には布による構成を試み,その多様な変転によって〈戦後美術のピカソ〉とも呼ばれている。
執筆者:東野 芳明
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…Experiments in Art and Technology(芸術と科学技術の実験)の略称。ベル電話研究所の技師クリューバーBilly Klüverを中心に,画家ラウシェンバーグ,映画作家・画家ホイットマンRobert Whitman,作曲家ケージ,舞踏家カニンガムなど各分野の芸術家が集まった。目的は,コンピューターやテレビジョンなど新しいエレクトロニクス技術を含む科学技術を,芸術に応用することにあった。…
※「ラウシェンバーグ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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