ラシーヌ(英語表記)Jean Racine

デジタル大辞泉 「ラシーヌ」の意味・読み・例文・類語

ラシーヌ(Jean Racine)

[1639~1699]フランス劇作家三一致さんいっちの法則に立つ厳格な構成、洗練された韻文、巧みな心理分析などによって、フランス古典悲劇を完成した。作「アンドロマック」「ブリタニキュス」「ベレニス」「フェードル」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ラシーヌ」の意味・読み・例文・類語

ラシーヌ

  1. ( Jean Baptiste Racine ジャン=バチスト━ ) フランスの劇詩人。古典悲劇の代表者の一人。ギリシア悲劇に取材し、激烈な情念によって破滅に至る人間を描いた。作品に「アンドロマック」「ブリタニキュス」「フェードル」など。(一六三九‐九九

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改訂新版 世界大百科事典 「ラシーヌ」の意味・わかりやすい解説

ラシーヌ
Jean Racine
生没年:1639-99

17世紀フランス古典主義を代表する詩人,劇作家。北フランス,ラ・フェルテ・ミロンの収税官の家に生まれ,2歳のときに母を,4歳のときに父を失う。母方の祖母マリー・デムーランに引き取られ,その家系がジャンセニスム修道院ポール・ロアイヤル(ポール・ロアイヤル運動)と深い関係があったため,少年期にはこの修道院の学寮で教育を受けた。〈救霊預定説〉に基づく過激な信仰の持主たるポール・ロアイヤルの〈隠士(ソリテール)〉とその信仰は,しばしば弾圧の対象となったが,その教育は同時代のイエズス会学寮の教育と異なり,フランス語を重視し,古典教育もラテン語に限らず,ギリシア語・ギリシア文学を重んじた。孤児であったこと,ポール・ロアイヤルの〈悲劇的世界観〉ならびにその独自の教育は,ラシーヌ幼少年期の重要な伝記的要素である。

 祖母マリー・デムーランの甥,ニコラ・ビタールにより,宮廷や若い文人(ラ・フォンテーヌら)に紹介されたラシーヌは,1660年,国王ルイ14世の成婚を祝う賛歌(オード)《セーヌ川の水精(ナンフ)》によって文壇にデビュー,当時の大御所ジャン・シャプランに認められる。上演されぬまま失われた《アマジー》《オビッド》の2編の戯曲の挫折の後,1661-63年の2年間,伯父アントアーヌ・スコナンを頼って南フランスのユゼスに滞在,在家聖職禄を得ようとしたが果たさず,パリに戻る(この間,貴重な書簡を残す)。63年,二つの賛歌《国王の御平癒について》と《詩神(ミューズ)たちのための名声》を書き,ボアローモリエールと知り合い,64年,モリエール一座による悲劇《ラ・テバイッド(テーバイ物語)》で劇壇にデビューする。一時代前のJ.deロトルー風残酷悲劇は成功せず,翌年の英雄主義的恋愛悲劇《アレクサンドル大王》で初の成功を収めるが,2週間後それをライバル劇団のブルゴーニュ座に上演させるに至って,モリエールと決別,彼はモリエール一座の写実的な演技よりブルゴーニュ座の大時代な演技を選んだといえる。さらに恋人となった女優デュ・パルクをモリエール一座から引き抜き,また,かつてポール・ロアイヤルの恩師だったピエール・ニコルの演劇批判論に反駁して,《〈想像の異端〉および2編の〈妄想の人〉の著者に与える書簡》を書き,ポール・ロアイヤルと絶縁する。これら忘恩のふるまいから,危険な野心家ラシーヌの評判が生まれる。

 67年,ブルゴーニュ座が,新参加のデュ・パルクを主人公に上演した《アンドロマック》の驚異的成功により,一躍,第一線の悲劇詩人と認められる。この戯曲をささげた王弟妃アンリエット・ダングルテールをはじめ,シュブルーズ公,コルベールら,宮廷の実力者の庇護を背景に,10年間の輝かしい劇作の時代がくる。時の好みは,大コルネイユの英雄的悲劇から,弟トマ・コルネイユやフィリップ・キノーの恋愛至上主義悲劇に移っており,ラシーヌの成功も,この新しい感受性に適合していたからであった。しかしラシーヌの独自性は,恋愛を〈情念(パッシヨン)〉としてとらえ,個人の実存とそれが担う社会的役割とをともに巻き込んで破滅させる,危険な破壊的力としてとらえたことにある。そのような情念を,ラシーヌは,一分の隙(すき)もない緊密な劇構成と,簡潔で格調高く,しかも人間の内心の秘密や葛藤を多様に語りうる定型12音節(アレクサンドラン)詩句によって表現した。その主張は,初期には論争の調子を伴ってはいるが,各作品の序文に詳しく記されている。

 裁判をめぐる常軌を逸した情念を描く喜劇《裁判狂い》(1668)の後,大コルネイユとその支持者たちの猛烈な妨害に遭ったローマもの政治悲劇《ブリタニキュス》を経て,70年,悲劇《ベレニス》により,大コルネイユとの事実上の競作に圧倒的な勝利を収める。新たな恋人である女優シャンメレー嬢(1642-89。彼女は以後《フェードル》まで,ラシーヌ悲劇の女主人公を演じる)のために書いたこの悲恋物語について,悲劇の楽しみである〈壮麗な悲しみ〉には,血が流れることは必要ではないと主張したラシーヌは,次作の後宮悲劇《バジャゼ》(1672)では,最もなまなましく残酷で血腥(ちなまぐさ)い悲劇を書く。73年,コルベールの推挙で,35歳の若さでアカデミー・フランセーズ会員となり,その直後に初演された《ミトリダート》の成功とあわせて,当代第一の悲劇詩人として公認されたことになる。74年,ベルサイユ宮祝典で初演された《イフィジェニー》は,エウリピデスに拠るギリシアもの異教神話悲劇であり,当時,大流行をみせ始めたリュリ作曲・キノー台本による音楽悲劇(オペラ)への反駁でもあった。77年,《フェードル》初演に際しての妨害は結局不成功に終わり,すでにポール・ロアイヤルと和解していたラシーヌは,この年,ビタールの遠縁に当たる富裕な一族の娘カトリーヌ・ド・ロマネと結婚。また,ボアローとともに国王の修史官に任命され,劇壇を引退する。

 《ソー牧歌》(1685)などのほかは創作から遠ざかり,宮廷人の務めを果たす。89年,マントノン夫人のサン・シール学寮のために聖書に基づく合唱入り悲劇《エステル》を書き,91年には《アタリー》がラシーヌ悲劇の最後を飾る。晩年のラシーヌは,ジャンセニスムを弾圧し続けたルイ14世の側近でありながら,ひそかに《ポール・ロアイヤル史概要》を書き,また4編の《宗教賛歌》を残した。その死因は肝臓腫瘍であった。

 ラシーヌ悲劇の情念は,多くの場合恋愛の情念だが,政治的野望も情念の劇としてとらえられる。恋愛の情念が発動するのも,政治権力の場においてであり,人間の深層の欲望をつき動かす劇と,社会の大きな力関係の劇とがそこで絡む。それはまた古代的宿命と近代的自由性との絡み合う複雑な悲劇性に貫かれた舞台であり,人間の条件の劇の至高の表現の一つとして,各時代が新しく読み直してきた古典の典型である。
古典主義[文学]
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百科事典マイペディア 「ラシーヌ」の意味・わかりやすい解説

ラシーヌ

フランスの劇作家,詩人。4歳で孤児になる。ポール・ロアイヤル修道院(ポール・ロアイヤル運動)でジャンセニスト(ジャンセニスム)から教育を受け,古典に親しむ。1659年パリに出て哲学を学びつつ詩作を始める。一時南仏ユゼスに行くが1663年パリに戻り文学に専念。1667年《アンドロマック》の成功で劇壇の第一人者となり,喜劇《裁判狂い》,悲劇《ブリタニキュス》《ベレニス》などを書くが,1677年の《フェードル》を最後に引退。この年結婚,またルイ14世の修史官となる。以後作品としてはサンシルの少女たちのために書いた宗教劇《エステル》《アタリー》のみ。古典劇の法則を駆使して,情熱のとりことなる人間を主人公に格調高い心理劇を作り上げたフランス古典主義の代表者。晩年に《ポール・ロアイヤル史概要》がある。
→関連項目オーリック宮廷文学コルネイユ三統一スタンダールボアロールイ[14世]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ラシーヌ」の解説

ラシーヌ
Jean Racine

1639~99

フランスの劇作家。情念の抗しがたい力にとらえられた人間の悲劇を描き,その詩句は古典主義の精髄をなすといわれる。代表作『ブリュタニキス』『ベレニス』『フェードル』など。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ラシーヌ」の解説

ラシーヌ
Jean Baptiste Racine

1639〜99
フランス古典主義の代表的悲劇作家
コルネイユ・モリエールとともに,ルイ14世時代の三大劇作家のひとりで,古典主義悲劇を大成。代表作『ブリタニキュス』『アンドロマック』など。

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世界大百科事典(旧版)内のラシーヌの言及

【アタリー】より

…フランスの劇作家ラシーヌの最後の劇作,韻文五幕,合唱入り悲劇。1691年作。…

【アンドロマック】より

…フランスの劇作家ラシーヌの五幕韻文悲劇。1667年11月,ブルゴーニュ座初演。…

【古典主義】より

…喜劇はアリストテレスの《詩学》に欠損していることもあって,悲劇よりは自由であったが,規則議論が劇文学の質を急激に高めていく動きの中で,とくにモリエールによって悲劇に拮抗し得る優れた文学ジャンルとなる。こうして1664年にラシーヌが《ラ・テバイッド》で劇壇に登場するときには,すでに悲劇を代表とする劇文学の分野では,のちに古典主義美学と称せられるものの公準と規則はほぼ確立していたが,ラシーヌはそれを自由な発想に対する桎梏(しつこく)とは受けとらず,それを自由に駆使したばかりか,ときにはそれを逆手にとって,ラシーヌ固有の見事な悲劇的世界を構築した。1674年のN.ボアローの《詩法》は,そのような半世紀にわたる詩人,作家たちの実践を整理して,一つの美的公準の言説を作ったものであり,後代に対して古典主義美学の要約として果たした役割は大きい。…

【詩劇】より

…詩的高揚のみならず,きわめて論理的・散文的思考の表現にも適したこの詩形を,彼は完璧に使いこなした。同時代スペインのローペ・デ・ベガやカルデロン・デ・ラ・バルカ,ルイ14世時代,いわゆる〈古典主義〉の時代のP.コルネイユやJ.ラシーヌも,輝かしい詩劇を作った。この黄金時代のあと衰微した詩劇の復興を図ったのはロマン派詩人たちだった。…

【詩法】より

…1行の詩句でも,例えばフランス詩でいちばん長いアレクサンドラン(12音節)では,息の切れ目(=意味の切れ目)が6音節の終り(句切り)にあり,古典詩では必ず守られねばならなかった。その6音節(半句)の中で多様なリズムを駆使して名声を得たのはラシーヌであり,またユゴーらロマン派はこの句切りにこだわらないことを主張した。 詩の歴史における変革はつねに詩法の変革を伴ったもので,ロマン派以降,西欧の詩では,また新体詩以後の日本の詩でも,詩型の拘束を逃れ,さまざまな韻律を試みたあと,自由詩へと動いていく。…

【フェードル】より

…フランスの劇作家J.ラシーヌの第10作,5幕の韻文悲劇。1677年1月,ブルゴーニュ座初演。…

【フランス演劇】より

…中世から現代に至るフランス演劇の大きな特徴は,(1)歴史的には,17世紀に起こった一連の変化・断絶を軸として,それ以前とそれ以後に大別され,17世紀以降の演劇の多くのものが,劇場における上演という形にせよ,劇文学の読書という形にせよ,今日まで一応は連続して共有されてきたのに対し,17世紀以前の演劇は,少数の例外を除いて,演劇史あるいは文学史の〈知識〉にとどまること,(2)構造的には,17世紀に舞台芸術諸ジャンルの枠組み(〈言葉の演劇〉,オペラ,バレエ等)が成立し,国庫補助を含むその制度化(王立音楽アカデミーは1669年,コメディ・フランセーズは1680年に開設された)が進むと,演劇活動のパリの劇場への集中化が行われ,演劇表現内部における〈言葉の演劇〉の優位とそれに伴う文学戯曲重視の伝統が確立したことである。特に最後の点は,コルネイユ,モリエール,ラシーヌに代表される劇文学が,一般に諸芸術の内部で規範と見なされるに至ったことと相まって,以後300年のフランス演劇とフランス文化に決定的な役割を果たした。
【中世――宗教劇と世俗劇】
 中世フランスは,ヨーロッパの中でも,宗教劇・世俗劇ともに隆盛を見た地域だった。…

【ブリタニキュス】より

…フランスの劇作家J.ラシーヌの第5作。5幕の韻文悲劇。…

【ポール・ロアイヤル運動】より

…サン・シランを師と仰ぎ,その弟子A.アルノーを理論的指導者とするポール・ロアイヤルはカトリック宗教改革運動の一翼を担うが,他方ジャンセニスムの本拠地とみなされ,教権,俗権の双方から数々の弾圧を受け,1709年修道院は閉鎖され,運動は終りをつげた。しかしその間,ポール・ロアイヤルはその運動の担い手と関係者の中から,アルノー,パスカル,P.ニコル,ラシーヌといった著名な思想家,文学者を輩出し,フランス古典期の文化に大きく貢献した。また付属学校は教育史上名高く,そこでの教育経験から生まれたいわゆるポール・ロアイヤルの《論理学》と《文法》は近年注目を集めている。…

※「ラシーヌ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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