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ラタナコーシン朝 ラタナコーシンちょうRatanakosin

世界大百科事典 第2版の解説

ラタナコーシンちょう【ラタナコーシン朝 Ratanakosin】

タイの現王朝。トンブリー朝のタークシン王が精神錯乱に陥った後を受けて,軍の最高司令官チャクリ(のちのラーマ1世)が1782年バンコクを首都として創始した。始祖の名にちなんでチャクリ朝またはバンコク朝とも呼ばれる。6代目の王ワチラウットは,この王朝の歴代の王をラーマ何世と呼ぶ習慣を始めた。現国王プーミポン・アドゥンヤデートはラーマ9世。 ラーマ1世と2世の時代になおも存在していた西方ビルマからの軍事的脅威は,イギリスによるビルマの植民地化が開始されるラーマ3世の治世となってようやく消滅し,ラオス,カンボジアおよびマレー諸国に対する宗主権の確立,国内の経営に専念できる状況が生まれた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラタナコーシン朝
ラタナコーシンちょう

チャクリー朝」のページをご覧ください。

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世界大百科事典内のラタナコーシン朝の言及

【タイ】より

…アユタヤ朝は,バーンプルールアン王家のボロマコート王(在位1733‐58)の治世下に学芸がおおいに栄え,仏教使節をセイロンへ派遣して衰微した首都キャンディに戒壇を復興させるなど,仏教国アユタヤの名声は海外にも響いたが,王の死後,後継者を得ず,1767年ビルマの侵攻を受けて滅亡し,アユタヤは416年の歴史の幕を閉じた。
[ラタナコーシン朝]
 アユタヤ朝滅亡後ただちにビルマ軍を撃退して1767年みずから王位についたタークシンは,徹底的に破壊された王都アユタヤの再建をあきらめ,より河口に近いトンブリーに新たな都を開いた。タークシンはその後も執拗に繰り返されたビルマの侵入を撃退しつつ,まず旧畿内の諸〈ムアン〉の秩序を確立すると,みずから兵を率いてピッサヌローク,ピーマイ,ナコーンシータマラートを制圧,さらに進んで,カンボジア,ラオス,ラーンナータイを攻撃し,アユタヤ以来の宗主権を回復した。…

※「ラタナコーシン朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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