ラマルセイエーズ(その他表記)La Marseillaise

デジタル大辞泉 「ラマルセイエーズ」の意味・読み・例文・類語

ラ‐マルセイエーズ(〈フランス〉La Marseillaise)

フランス国歌。1795年制定。1792年、工兵士官ルージェ=ド=リール作詞作曲した「ライン軍の軍歌」を、南フランスの義勇兵マルセイユからパリへの行進中歌い続けたことに由来して改題

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精選版 日本国語大辞典 「ラマルセイエーズ」の意味・読み・例文・類語

ラ‐マルセイエーズ

  1. ( 原題[フランス語] La Marseillaise ) フランスの国歌。一七九五年制定。一七九二年、ルージェ=ド=リールが作詞・作曲した「ライン軍の軍歌」を、革命のための義勇兵たちがマルセイユからパリへ行進する間中歌い続けたことに由来して命名された。

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改訂新版 世界大百科事典 「ラマルセイエーズ」の意味・わかりやすい解説

ラ・マルセイエーズ
La Marseillaise

フランスの国歌。作詞・作曲(1792)ともに革命軍ストラスブール隊の有能な将校であったルージェ・ド・リールClaude-Joseph Rouget de Lisle(1760-1836)。1792年4月に布告された対オーストリア戦争に際し,同年7月マルセイユからの義勇兵たちがこの歌を歌いつつパリ入城を果たして一躍全国に広まったところからこの名がある。95年に国歌として採択された。歌詞は子ども用の1節を含め全7節。もとは北方ライン軍団のための進軍歌として1792年4月26日夜に作曲,ストラスブール市長宅で初めて歌われ,《ライン軍に寄せる闘いの歌Chant de guerre pour l’armée du Rhin》のタイトルで同地で出版されてあったもの。第二帝政期(1852-70)には革命色を薄めようとの狙いから,ナポレオン3世の母ウジェーヌ・オルタンスが作曲に手をかしたとも伝えられる歌《シリアへの出発Partons pour la Syrie》が一時国歌として登用されたが,ナポレオン3世失権と同時にこの《ラ・マルセイエーズ》が復し,現在に至る。なおこの旋律多くの作曲家により引用されており,とくにシューマンのピアノ曲《ウィーン謝肉祭》,歌曲二人擲弾兵》,ワーグナーの歌曲《二人の擲弾兵》,リスト交響詩英雄の嘆き》,チャイコフスキーの管弦楽序曲《1812年》,ドビュッシーのピアノ曲《花火》などの例がよく知られている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラマルセイエーズ」の意味・わかりやすい解説

ラ・マルセイエーズ
らまるせいえーず
La Marseillaise フランス語

フランスの国歌。フランス革命中、1792年4月に革命戦争が始まったとき、ドイツ国境に近いストラスブール市で、市長の要請により、原名『ライン軍軍歌』として、工兵士官ルージェ・ド・リールが作詩・作曲した。これは南フランスにも伝わり、マルセイユ市からの義勇兵たちが92年の夏にパリに広め、この名が生まれた。95年に国歌となったが、復古王政期や第二帝政下に禁止され、1879年、第三共和政時代にふたたび国歌に制定された。

[山上正太郎]

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百科事典マイペディア 「ラマルセイエーズ」の意味・わかりやすい解説

ラ・マルセイエーズ

フランスの国歌。1792年オーストリアと戦争の際,ストラスブール駐屯の将校ルージェ・ド・リールRouget de Lisleが作詞・作曲。初め《ライン軍に寄せる闘いの歌》と題したが,マルセイユ義勇軍がパリ入城のとき歌ってからこの名になった。1795年愛国歌となり,1879年正式の国歌に制定された。なお旋律を引用した曲にシューマン《二人の擲弾兵》などがある。
→関連項目国歌1812年序曲

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラマルセイエーズ」の意味・わかりやすい解説

ラ・マルセイエーズ
La Marseillaise

フランスの国歌。もともと愛国者の歌で,1795年次いで 1879年にフランス国歌に制定された。 1792年工兵士官 C.ルージェ・ド・リールが作詞,作曲したもので,最初は「ライン方面軍の歌」と名づけられたが,マルセイユの連盟兵がパリでそれを最初に歌ったので,以後『ラ・マルセイエーズ』と呼ばれるようになった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ラマルセイエーズ」の解説

ラ・マルセイエーズ
La Marseillaise

フランス国歌。1792年ストラスブールの士官ルージェ・ド・リールが作詩,作曲。「ライン軍軍歌」と名づけられたが,同年夏マルセイユの連盟兵がパリにこれを歌って入ってきたため,この名が生まれた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ラマルセイエーズ」の解説

ラ−マルセイエーズ
La Marseillaise

フランスの国歌
フランス革命時代,マルセイユの義勇兵が士官ルージェ=ド=リールの作詩作曲した愛国歌を歌ってパリにはいって以来,急速に国民の間に広がり,1795年国歌として採用された。

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世界大百科事典(旧版)内のラマルセイエーズの言及

【国歌】より

…一つの国の内部でも,政体の変化が国歌に変化をもたらすことがある。フランス革命と結びついた《ラ・マルセイエーズ》がナポレオン3世の第二帝政時代に,皇帝の母によって作曲されたといわれる《シリアに向けて出発しよう》に替えられた。ソ連も革命後は,帝政時代の国歌を捨てたのはいうまでもない。…

【ストラスブール】より

…ゲーテとメッテルニヒはここの大学で学んでいる。1792年にルジェ・ド・リールが〈ライン軍軍歌〉(《ラ・マルセイエーズ》,現,国歌)を歌った最初の地でもある。1870年普仏戦争でドイツ軍に占領されてライヒスラントの役所がおかれ,1918年までドイツ領。…

【マルセイユ】より

…新大陸発見ののち,16世紀に一時にぎわったが,地中海の経済的効用は低下を続け,1660年ルイ14世への反乱と鎮圧,1720年のペスト大流行などもあって,没落に向かっていった。 フランス革命の際,多くのマルセイユ市民は革命側に投じたが,パリに赴いた市民たちが歌った行進歌が,のちに〈ラ・マルセイエーズ〉と呼ばれ,現在のフランス国歌となった。1830年のアルジェリアの植民地化,69年のスエズ運河開通は,地中海港湾としてのマルセイユに重要性を回復させた。…

※「ラマルセイエーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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