ランゴバルド王国(読み)ランゴバルドおうこく

改訂新版 世界大百科事典 「ランゴバルド王国」の意味・わかりやすい解説

ランゴバルド王国 (ランゴバルドおうこく)

ゲルマン人の一部族であるランゴバルド族(ランゴバルト族)Langobardenが,568年に北イタリアのロンバルディア地方に侵入,建国した王国。その版図は最盛期には中部イタリアから南イタリアに及んだが,774年フランク王国カール大帝の征服によって滅亡した。ロンバルディア王国とも呼ばれる。紀元前1世紀の末以来エルベ川下流域に移住していたランゴバルド族が南下を開始するのは5世紀初期のことで,長期にわたる放浪の過程で他部族や他民族の残留者を加えながら6世紀初期にパンノニアに入って,その地に半遊牧の騎馬部族国家を建てた。552年彼らの一隊がビザンティン帝国の同盟軍(フォエドゥス)としてナルセスに協力して北イタリアのポー平原に姿を見せたのち,アルボイノAlboino王(在位561-572)は,アバール人の到来によって生存を脅やかされたのを機会に,568年ゲピード人やブルガール族やサルマート人の残存者,さらにほかのゲルマン諸族の一部を加えた〈ランゴバルド人の全軍を率いて〉フリウリ国境警備線(リメス)を突破,翌569年にポー平原とミラノを占領した。続いて彼はビザンティン帝国領の要衝パビアを3年かけて攻略する。この間に,ランゴバルド人の諸公・部隊指揮官は,アペニノ山脈中央部を越えてトスカナラティウムに侵入,575年以後ローマを陸上から封鎖する。また南東方面ではほかの別働隊がラベンナの南を迂回して,575年ごろベネベント,スポレト両公国の礎石を置く。しかし572年アルボイノが暗殺され,さらに後継王クレフィClefi(在位572-574)も574年に早くも殺されて,以後10年間ランゴバルド人は王不在のまま35人の諸公の緩い連合体に指導されることになる。

 他方,ランゴバルド人の侵入と定住は先住のローマ人に一種の恐慌を引き起こし,ベネチア地方内陸部の住民は海岸の潟の島々に逃げ込み,またポー平原の住民はジェノバに閉じこもった。残留ローマ人は土地を没収され,武器携帯の禁止などの屈辱的状態に甘んじ,そのうえビザンティン帝国への荷担の嫌疑をたえず受けた。元老院貴族やローマ人司教も姿を消すようになった。その結果,イタリアに対してランゴバルド人が与えた刻印は甚大で,地名や法律,行政,軍事などの用語は無数のランゴバルド語を含むことになった。風習や人名も急速にゲルマン化する。こうしてイタリアの住民はついには,全イタリアの統一を企てたデシデリオDesiderio王(在位756-774)とローマ教皇との確執を口実に軍事介入したカール大帝による征服(774)の直前には,ほとんど全員がランゴバルド人であると自覚するに至っていた。しかしこのような結果が可能となったのは7世紀の初期に決定的な変化が起こったからである。584年に王政を復興したアウタリの息子アギルルフォAgilulfo王(在位590-616)は残留ローマ人有力者を宮廷に登用し,607年にはカトリックに改宗した。また626年ごろに首都がパビアに定着し,さらにビザンティン帝国の制度をまねた官僚・行政・警察機構も導入されて,ここにランゴバルド国家が本格的に始まることになる。

 イタリアにおけるランゴバルド人の支配は単一の国家に集中せず,北部と中・西部の王国,中・東部のスポレト公国,南部のベネベント公国の集合体であった。王国ではローマのキウィタスに代わる裁判管区ないし公管轄区が地方の単位であった。公管轄区はその起源においては一地区に入植した部隊を表し,公国と同じく自治区であったが,王と同列であった公=部隊指揮官が少しずつ王の役人となっていったのである。一方,かつてのキウィタスの首邑である都市はある程度の自治権を保持した。王は二重の肩書をもち,〈ランゴバルド人の王〉と称したほかに,勅令では王の称号にローマ人最高官が帯びていたvir excellentissimusの称号と,ローマ風のフラウィウスFlaviusの名まえをつけている。王はバン(罰令)権力をもっているが,何よりもまず軍隊の最高指揮者であって,全臣下に対し募兵権(ヘリバンヌム)を行使した。そのうえ彼は最高の裁判官であり,弱者や異国人の行商人をその保護下に置いた。王権の物的基盤である王領は,584年,王政復興の際に諸公が彼らの所領の一部を割譲して形成されたが,7世紀には著しく増大した。王領の管理人であるガスタルディは王領居住民の裁判官であると同時に,ローマの国境警備隊植民者に倣って王領に植民させられた農民兵士(アリマンニ)の指揮官でもあった。のちに彼らは王からさらに政治的任務をも与えられて,多くの都市で諸公を監視し,諸公が裏切った際には彼らの代理を務めた。また莫大な量の王領は,諸公に対抗できる直属の家臣団を組織しうる手段を王に与えた。宮廷職や行政職の保持者,とりわけガスタルディも全員王領から先取りされた土地で報酬を受けていたが,彼らはついには新しい勤務ないし官職貴族を構成するに至って,旧高級貴族と融合して〈第一人者(プリミ)〉と呼ばれた。初めはポプルスすなわち王の軍隊の集会が開かれていたが,643年ロターリ王が法典(ランゴバルド法)を公布した際の集会を最後に姿を消して,以後諸公とガスタルディが構成する貴族会議がとって代わり,さらに8世紀以降宮廷官と高位聖職者が参加した。貴族会議は王を選挙する(実際には王家の中から)ほかに,条約文などを批准し,法律の仕上げに参加していた。

 最後に社会階層についてみると,ランゴバルド人全体は,自由人=戦士と,一般に戦争の捕虜で若干の法的権利が認められている奴隷と,自由人と奴隷の中間に位置するアルディの3階層に区別されていた。アルディはおそらく無抵抗で降服した者たちで,自由人のそれの半分の賠償金が与えられていた。彼らは割当地に緊縛され,一般に生産物での年貢を土地所有者に支払う義務があった。アリマンニ(戦士)はランゴバルド人の典型であった。ランゴバルド人の構成は元来軍事的で,彼らのイタリアでの植民はこれを基礎にして行われた。入植したランゴバルド人の集合単位であるファラエについては,大家族だったのか軍の分遣隊だったのか正確なことはわかっていない。またアリマンニ制についても議論が分かれているが,いずれにしても王の主たる行動手段の一つであって,アリマンニは,軍事的・警察的任務を帯びて国土を防衛し,疑わしいランゴバルド人を監視し,さらに反対勢力と闘うために,国境,辺境と都市に,家族同伴で入植していたのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ランゴバルド王国」の意味・わかりやすい解説

ランゴバルド王国
らんごばるどおうこく

古ゲルマン民族の一派であるランゴバルドLangobard人がイタリアに侵入して建てた王国。ロンバルディア王国ともいう。ランゴバルド人の原住地はエルベ川下流域であるが、2世紀中ごろにはドナウ川方面、5世紀後半には下オーストリア、6世紀中ごろにはノリクム、パンノニア地方に移り、さらに東方からアバール人の攻撃を受けたのを契機に、568年、アルボイン王に率いられてイタリアに侵入、パビーアを首都として、ポー川流域のロンバルディア地方に部族王国を建てた。

 その後南方に勢力を広げ、トスカナから、さらに南イタリアのスポレト、ベネベント地方にまで及んだが、各地に豪族を配置したため、独立性の強い諸公国が形成され、アルボインの後継者クレフ王が殺害されたのちは、35人の大公に支配される諸公国が併存するような事態となった。フランク王国の脅威が強まるにつれ、584年、アウタリ王のもとで王制が復活し、諸侯権力の抑圧、王権の強化が図られたが、大諸侯の力は依然強く、8世紀前半、リウトプランド王がスポレト、ベネベント両公国を破った結果、ようやく王権が伸張した。

 その後アイストゥルフ王はさらにビザンティン領ラベンナを併合、ついでローマを脅かしたが、これがローマ教皇の救援要請にこたえたフランク国王ピピン(小)の干渉を招き、さらにデシデリウス王と教皇との確執を口実に、フランク国王カール(後の大帝)もイタリアに侵入した。774年デシデリウスは捕らえられて、ランゴバルド王国はフランク王国に併合され、滅亡した。

[平城照介]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランゴバルド王国」の意味・わかりやすい解説

ランゴバルド王国
ランゴバルドおうこく

「ランゴバルド族」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のランゴバルド王国の言及

【イタリア王国】より

…イタリアという地域が王国という一つの政治単位を構成するという観念がいつ生じたかを知ることは難しい。西ローマ帝国崩壊後,北イタリアに生まれた東ゴート王国,ランゴバルド王国は,それぞれ部族国家,つまりゴート族やランゴバルド族の国家であった。しかし,ランゴバルドを征服し,800年に皇帝に即位したカロリング家のカール大帝の場合は事情が異なる。…

※「ランゴバルド王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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