ランツフート(読み)らんつふーと(英語表記)Landshut

デジタル大辞泉 「ランツフート」の意味・読み・例文・類語

ランツフート(Landshut)

ドイツ南東部、バイエルン州都市ドナウ川の支流イーザル川沿いに位置する。13世紀初頭から16世紀初頭までバイエルン公の居城が置かれて発展ルネサンス様式のトラウスニッツ城やゴシック様式の聖マルティン教会など、歴史的建造物が残る。1475年にゲオルク公がポーランド王女を妃として迎えた結婚を記念する祭典が、4年ごとに催される。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ランツフート」の意味・わかりやすい解説

ランツフート
らんつふーと
Landshut

ドイツ南東部、バイエルン州、イザール川に臨む都市。人口5万8700(2000)。1204年にバイエルン・ランツフート公の居城地となり、これが地名由来である。1279年に都市の勅許を得、のち周辺の農業地域の中心地として発展した。現在、ニーダーバイエルン県の県庁所在地で、多くの官庁があるほか、農機具織物、食品、醸造、電気などの工業が発達している。14~15世紀に建てられた聖マルティン教会、12~13世紀のトラウスニッツ城などが残る美しい町で、1475年のゲオルク公の結婚を記念した祝祭劇が3年ごとに上演されることでも知られている。

[石井英也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランツフート」の意味・わかりやすい解説

ランツフート
Landshut

ドイツ南東部,バイエルン州の都市。ミュンヘン北東約 60km,イーザル川沿いに位置する。 1204年に建設され,79年に都市権を獲得。 1503年まではバイエルン公家の居所であった。同家のトラウスニッツ城 (13~16世紀) ,世界で最も高い煉瓦造の尖塔の一つをもつゴシック様式のザンクト・マルティン聖堂 (1389~1450) など中世の建物が多い。古くから醸造,製粉,たばこ製造などが盛んであるが,第2次世界大戦後に旧東ドイツなどからの移住者1万 2000人以上を受け入れて電子,機械などの工業が新たに興った。人口5万 9066 (1991推計) 。

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世界大百科事典 第2版 「ランツフート」の意味・わかりやすい解説

ランツフート【Landshut】

ドイツ南東部,バイエルン州の都市。人口6万(1991)。ミュンヘンの北東約65km,イザール川沿岸にある。1204年バイエルン大公ルートウィヒ1世が建設。32年にはバイエルン最初のシトー会女子修道院,ゼーリゲンタール修道院がこの地に創建された。79年,都市法を得る。1255‐1340年,1392‐1503年,大公家の居住地であった。1800年ごろ‐26年,ミュンヘン大学の前身バイエルン大学が置かれる。

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