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ルワンダ紛争

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ルワンダ紛争

アフリカ東部のルワンダで、1990年から1994年にかけてツチ族のルワンダ愛国戦線とフツ族の政府軍との間で行われた武力抗争。50万人以上の住民が虐殺され、大量の難民がザイールなどの周辺諸国に流出、国際問題となった。

出典|(株)マネーパートナーズ
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ルワンダ紛争
るわんだふんそう
Rwanda's conflict

中部アフリカ東部の内陸国ルワンダにおける主導権争いとエスニック・グループ民族集団)対立に絡む紛争。この国の主要グループはフツ人(人口の8割強)とツチ人(人口の1割強)である。フツ人は農耕民で、7世紀から10世紀ごろにかけて住みついたといわれ、一方、ツチ人は遊牧民で、15世紀ごろに北方から移住してきて王国をつくったとされてきた。以来、少数派のツチ人が多数派のフツ人を支配し続けた。そして1885年にドイツ領東アフリカに併合され、第一次世界大戦後の1923年にベルギー委任統治領になった。この間、両宗主国は間接統治強化のため、気質や能力上の差を理由にツチ人を重用し、フツ人を従属させる政策をとった。
 このように従来、ツチとフツは出自の異なる別々の民族だとされてきたが、近年そうした説は疑問視され、ツチとフツは生業の違いによる分類だと理解されつつある。ただ実際には、それぞれエスニック・グループとして扱われ、よびならわされている。ツチとフツの境界が明確に区分され対立を深めたのは、19~20世紀ヨーロッパ諸国の植民地政策によるものであり、両者に格差をつけ対立させることによって間接的統治を強化したのであった。
 第二次世界大戦後、独立への動きが強まり、61年の立法議会選挙でフツ人を基盤とするフツ人民解放党(PARMEHUTU、パルメフツ)が圧倒的勝利を獲得。同時に行われた国民投票では、王制の廃止が承認され、62年7月、共和国として独立した。しかし独立後も少数派のツチ人が実権を保持したため、翌年フツ人によるツチ人大量虐殺が行われ、約2万人が死亡、1959年から64年の間に15万人のツチ人が隣国に避難したといわれた。その後も報復を伴った民族抗争は大統領や首相など政府首脳をも巻き込んで続く。ツチ系の亡命者や難民が主体となりウガンダで結成されたルワンダ愛国戦線(RPF=Rewanda Patriotic Front/FPR=Front Patriotique Rewandais)が90年ルワンダに侵攻し内戦に突入、94年には死亡したり難民となった者は300万人以上と報じられた。また、ザイール(現コンゴ民主共和国)のツチ系住民バニャムレング人が自治権拡大を求め、反政府闘争を始めたため難民キャンプから追い立てられるなど、内戦は隣国にも波及し、国際化することになった。そのため国連の平和維持活動(PKO)として、わが国を含めた「国連ルワンダ支援団(UNAMIR)」が派遣された。この紛争の背景には、民族不在の民族主義、政治意識の欠如、政党など政治組織の未成熟、強権的な少数派支配のなかでの議会(多数決)制民主政治の採用といった基本問題があり、ほかの開発途上諸国にも多くみられる現象である。[奥野保男]
『武内進一著『現代アフリカの紛争』(2000・アジア経済研究所) ▽吉岡逸夫著『漂泊のルワンダ』(1996・TBSブリタニカ) ▽アジア医師連絡協議会編著『ルワンダからの証言』(1995・中山書店)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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