古代ギリシアのスパルタ王(在位前488~前480)。クレオメネス1世の異母兄弟。ペルシア戦争第2回遠征(前480)でギリシア側はテルモピレーとアルテミシオンに第一次防衛線を敷いた。このときスパルタは祭祀(さいし)の期間中で本隊を動かせず、精鋭300人とともにレオニダスをテルモピレーに派遣した。彼は7000人のギリシア連合軍を指揮、圧倒的に優勢なペルシア軍に抵抗してこの地を2日間守った。3日目にペルシア側は地元民の内通で知った間道を抜けて挟撃作戦に出た。レオニダスはペロポネソス勢を撤退させ、スパルタの精鋭と南ボイオティアのテスピアイ軍などとともに「玉砕」した。彼の死は、スパルタ戦士の理想を体現したものとしてたたえられた。
[古山正人]
スパルタ王。在位,前488-前480年。第2回ペルシア戦争においてギリシア側はテルモピュライとアルテミシオン沖を結ぶ線を第1次防衛線とした。彼はギリシア連合軍を率いてテルモピュライに布陣し,戦いは3日にわたったが,ペルシア軍が間道を迂回してギリシア陣を挟撃すると勝敗は決した(テルモピュライの戦)。レオニダスは主力を撤退させ,スパルタ人精鋭300人,テーバイ軍などとともに踏みとどまって戦死,長く英雄としてたたえられた。
執筆者:古山 正人
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?~前480
スパルタ王。前480年テルモピュレーの戦いに数千のギリシア軍を率いてペルシア軍の進出を阻止。2日のちに内通者が出て包囲され,300人のスパルタ兵とともに戦死。現在に至るまで武人の鑑とされている。
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…すなわち借財の帳消しと土地再分配によって,市民権喪失者を市民身分に復し,自由人にふさわしい教育を受けて軍役能力のあるペリオイコイと外人に市民権を与え,4500の市民団を創出する計画がそれである。前242年に反対派の指導者であるもう1人の王レオニダス2世を廃し,借財の帳消しを実施した。しかし,叔父アゲシラオスの反対などにあって土地再分配を実施できず,これが改革失敗の原因となった。…
…北ギリシアを南下進撃してくるペルシア軍に対してギリシア連合軍は,海軍をアルテミシオンに,地上軍を隘路(あいろ)テルモピュライThermopylaiに配置して,これを第1次防衛線とした。テルモピュライ守備についたスパルタ王レオニダス麾下(きか)の連合軍は海軍と呼応してよくクセルクセス1世の前進を阻止したが,ついに攻勢に出たペルシア軍との間に3日間にわたる死闘が展開された。合戦2日目の夕刻からペルシア軍の〈不滅隊(アタナトイ)〉がカリドロモス山中の間道アノパイアを夜を徹して進んでギリシア軍の背後に迫った。…
※「レオニダス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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