レースラー(英語表記)Karl Friedrich Hermann Roesler

精選版 日本国語大辞典 「レースラー」の意味・読み・例文・類語

レースラー

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デジタル大辞泉 「レースラー」の意味・読み・例文・類語

レースラー(Rösler)

ロエスレル

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改訂新版 世界大百科事典 「レースラー」の意味・わかりやすい解説

レースラー
Karl Friedrich Hermann Roesler
生没年:1834-94

ドイツ法学者。日本ではロエスレルと呼ばれてきた。バイエルンの新教徒の家庭に生まれた。1861年よりロストク大学教授。カトリックに改宗して同大学を離れ,78年日本の外務省顧問として来日(後に内閣顧問となる)。81年,プロイセン流の君権主義的憲法を採用すべきことを建言した〈岩倉具視憲法綱領〉を井上毅起草するにあたり,決定的な影響を与えた。以後伊藤博文,井上の助言者として憲法起草に大きく貢献した。また旧商法典(1890公布)の起草者でもある。93年帰国。初期の著作《アダム・スミス流経済理論考》(1868)などにみられるように,彼はL.vonシュタインの影響下で,資本主義の階級対立を階級中立的君主が調整するという〈社会君主制論〉を信奉していた。この思想は,日本については,天皇に強大な権力を与える形で具体化された。もっとも彼は,第1条に〈万世一系〉という神話的表現を用いることに反対し,井上と対立した。著書は《社会行政法教科書》(1872-73)など。
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朝日日本歴史人物事典 「レースラー」の解説

レースラー

没年:1894.12.2(1894.12.2)
生年:1834.12.18
ドイツの法学者,経済学者,お雇い外国人。ロエスレルとも。バイエルンでルター派の家庭に生まれる。父は検察官。エアランゲン大,ミュンヘン大に学び,論文「商事会社の資産の性格」で法学博士号,「労働の価値」で経済学博士号,「労働賃金に対する課税の影響」で教授資格を得る。1861年エアランゲン大私講師,同年ロストック大教授となり,行政学,財政学,統計学,経済学を講じた。78年カトリックに改宗したため,大学辞任を余儀なくされた。明治11(1878)年日本政府の招聘を受け,年末に横浜到着。12年より外務省顧問,17年内閣顧問となり,26年まで滞在する。明治14年政変の際,ドイツ型憲法の採用を提案した「岩倉大綱領」の原案を作成,その後も伊藤博文,井上毅らの立法作業を助けた。憲法のほか商法,取引所条例,銀行条例なども起草したが,彼の起草した商法案はむしろフランス的な性格が強い。<著作>江木衷訳『社会行政法論』<参考文献>ヨハネス・ジーメス『日本国家の近代化とロェスラー』(本間英世訳)

(長尾龍一)

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百科事典マイペディア 「レースラー」の意味・わかりやすい解説

レースラー

ドイツの法学者,経済学者。ロエスレルとも。明治政府に招かれ1878年―1893年滞日。特に伊藤博文井上毅信頼が厚く,プロイセン流の旧憲法の制定,旧商法の起草に貢献した。経済学者としてはA.スミス批判が有名。→大日本帝国憲法

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「レースラー」の解説

レースラー Roesler, Karl Friedrich Hermann

1834-1894 ドイツの法学者,経済学者。
1834年12月18日生まれ。ロストック大教授。明治11年(1878)日本政府の招きで来日,外務省顧問,内閣顧問となる。20年プロイセン憲法を手本として「日本帝国憲法草案」を提出,その骨子は明治憲法に取り入れられた。また商法の起草にもあたる。26年帰国。1894年12月2日死去。59歳。バイエルン出身。エルランゲン大卒,ミュンヘン大卒。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「レースラー」の解説

レースラー
Karl Friedrich Hermann Roesler

1834.12.18~94.12.2

ロエスレルとも。ドイツの公法学者。ミュンヘンやチュービンゲンなどの大学で法学・国家学を学び,ローシュトック大学の国家学教授となる。1878年(明治11)外務省顧問として招聘され,のち内閣顧問。明治憲法起草に際し,伊藤博文に助言を与え,草案を示して内容・構成・条文の形態の基礎を作った。93年帰国。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「レースラー」の意味・わかりやすい解説

レースラー
れーすらー

ロエスレル

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レースラー」の意味・わかりやすい解説

レースラー

ロエスレル」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のレースラーの言及

【スミス】より

…石川が福沢門下であり,この邦訳の第4編序文を田口卯吉が書いたことからもわかるように,《国富論》は彼らの自由主義経済論の支柱となったのである。しかし,1878年に来日して翌年から外務省法律顧問として活動したヘルマン・レースラーには,ドイツ歴史学派の立場からスミスを批判した著書があり,《独逸学協会雑誌》に訳載された論文においても,スミスは資本家を寄生者とし,労働者のみを生産的だとすることによって,社会主義の先駆となったと主張した。もちろん,この見解がそのまま日本でうけいれられたわけではないが,自由主義に対して保護主義,利己心に対して利他心および国家意識が優位を占めたことは,両国の資本主義の後進性からして,不可避であった。…

【ドイツ】より

…明治維新政府は〈富国強兵〉の名のもとに,近代国家の建設に努めたが,そのモデルとしては,はじめイギリスが考えられたが,明治14年(1881)の政変以後,伊藤博文らの主張するプロイセン・ドイツ型の国家がその模範となった。伊藤は翌年ヨーロッパ各国の憲法制度調査のため渡欧し,主としてベルリン大学のグナイスト,モッセ,ウィーン大学のL.vonシュタインのもとで研究を進め,また1878年から15年間にわたって日本政府の法律顧問として滞在したレースラーの協力もあって,ドイツ帝国に範をとった明治憲法および国家体制が整えられた(法典編纂)。兵制に関しては,1870年には海軍はイギリス式,陸軍はフランス式の方針であった。…

※「レースラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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