百科事典マイペディアの解説
レースラー
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(長尾龍一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
…石川が福沢門下であり,この邦訳の第4編序文を田口卯吉が書いたことからもわかるように,《国富論》は彼らの自由主義経済論の支柱となったのである。しかし,1878年に来日して翌年から外務省法律顧問として活動したヘルマン・レースラーには,ドイツ歴史学派の立場からスミスを批判した著書があり,《独逸学協会雑誌》に訳載された論文においても,スミスは資本家を寄生者とし,労働者のみを生産的だとすることによって,社会主義の先駆となったと主張した。もちろん,この見解がそのまま日本でうけいれられたわけではないが,自由主義に対して保護主義,利己心に対して利他心および国家意識が優位を占めたことは,両国の資本主義の後進性からして,不可避であった。…
…明治維新政府は〈富国強兵〉の名のもとに,近代国家の建設に努めたが,そのモデルとしては,はじめイギリスが考えられたが,明治14年(1881)の政変以後,伊藤博文らの主張するプロイセン・ドイツ型の国家がその模範となった。伊藤は翌年ヨーロッパ各国の憲法制度調査のため渡欧し,主としてベルリン大学のグナイスト,モッセ,ウィーン大学のL.vonシュタインのもとで研究を進め,また1878年から15年間にわたって日本政府の法律顧問として滞在したレースラーの協力もあって,ドイツ帝国に範をとった明治憲法および国家体制が整えられた(法典編纂)。兵制に関しては,1870年には海軍はイギリス式,陸軍はフランス式の方針であった。…
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