精選版 日本国語大辞典 「ロイター」の意味・読み・例文・類語
ロイター
ロイター
- ( Fritz Reuter フリッツ━ ) ドイツの小説家。北ドイツの方言で創作、郷土文学の先駆者となった。代表作「フランス時代」「わが農民時代より」。(一八一〇‐七四)
イギリスの国際通信社。多角的な事業を展開する。おもな業務は、金融市場向けグローバル情報提供、ニュースの配信、金融取引の仲介、リスク管理サービス、ビジネス情報の提供など。一次産品に関する価格指数であるロイター指数も同社の作成になる。
ロイターPaul Julius Reuter(1816―99)が1849年ドイツのアーヘンで経済通信を始めた。同年、ベルギーのブリュッセルとの間で伝書鳩(でんしょばと)を使った株価情報のやりとりをする通信会社をパリに創設し、翌50年にはブリュッセルに移転。さらにドーバー海峡に海底電線が敷設された51年、イギリスのロンドンに移って通信社を開設した。当初は財界が対象であったが、1860年代までにロイターは、電報会社に依存して内外の通信供給を受けていたロンドンの新聞界にも外信を配信するようになった。1865年に株式会社になったロイターは、王室と政府に無料配信を始めて権威を確立する一方、海底ケーブル通信などの発展に伴い、72年には日本(横浜、神戸、長崎など)、74年には南米で営業を開始するなど、イギリス帝国の植民地やアジア各国に通信網をつくった。ドイツのウォルフ、フランスのアバスの両通信社とニュースの交換協定を結び、イギリスの海底電線網を利用して、20世紀に入ると世界最大の通信社となった。1925年には、地方紙が組合組織として1868年に設立した通信会社プレス・アソシエーション(PA)によってロイターの株式の過半数が買い取られ、41年にはロンドンの新聞発行社協会がPAと所有権を折半するようになったため、ロイターは組合組織となった。その後オーストラリアのAPA、ニュージーランドのNZPAもこれに加入してロイター・トラストを組織し、名実ともに国際通信社となった。第二次世界大戦後は経済ニュースを重視して、1946年南米にあったコムテル通信社を買収(66年ロイターズ経済通信に改組)、64年にはウルトロニック社と提携して、アメリカ以外での市場速報網をつくった。1984年に株式をロンドン証券取引所とアメリカのナスダックNASDAQに上場公開、現社名を採用した。
金融情報の提供ではアメリカのダウ・ジョーンズDow Jones Tererate、ブルームバーグBloomberg、ナイト・リッダーKnight-Redderと並び世界有数。ニュースや映像の配信でも、AFP(フランス)、イタル・タス(ロシア)、APおよびUPI(アメリカ)とともに世界的な通信社として活動している。1996年には中国人民解放軍系のポケットベル会社と金融情報サービスを開始。1998年にはアメリカの資産運用の大手リッパー社から投資信託評価部門を買収、さらにアメリカの大手銀行持株会社J・P・モルガン(現JPモルガン・チェース)と投資リスクに関する情報提供を行うリスクマトリクス・グループRiskmatrix Groupを設立した。1999年にはビジネス情報データベースサービスを目的としてダウ・ジョーンズと合弁会社を設立するなど経済・金融のグローバル化にあわせた事業展開をしている。
子会社には、1969年に設立され、30か国以上の顧客に株式取引と調査サービスを提供するインスティネットInstinet社、94年に買収し96年2社に分社したティブコTIBCO社、1982年設立のロイター財団(1999年現在の基金は約300万ポンド)がある。ロイターの顧客は、世界140か国以上(1996)に及び、ロンドンとニューヨークに技術センター、また日本、香港(ホンコン)、スイスに施設を保有する。ロイター・グループの1998年末の発行株式を基準にした総資産は3億5400万ポンド、営業収入は41億ポンド。従業員数約1万7000人(1999)。
日本には、1872年(明治5)に支局を開設。1985年(昭和60)には子会社のロイター・ジャパンを設立、新聞社や放送局に情報提供業務を行っている。資本金1億円、従業員数約500人(1999)。
[伊藤慎一・上川孝夫]
『倉田保雄著『ニュースの商人ロイター』(1996・朝日新聞社)』
ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の政治家。シュレスウィヒ北部に生まれる。1912年社会民主党に入る。1916年ロシア戦線で負傷し捕虜、ロシア十月革命の影響で共産主義者となる。ドイツ十一月革命後帰国、1921年ドイツ共産党書記長、翌1922年コミンテルンと意見があわず社会民主党へ復帰。1931~1933年マクデブルク市長、1932~1933年国会議員。ナチ政権下で二度強制収容所に収容される。1935年イギリスへ亡命、のちトルコへ移る。第二次世界大戦後1946年ベルリンへ帰り、翌1947年市長に選ばれたが、ソ連により拒否された。東西ドイツへの分裂後、死ぬまで西ベルリン市長を務めた。
[中川原徳仁]
ドイツの小説家。シュターフェンハーゲンで市長の息子として生まれる。フランス軍による占領の時代に育つ。ロストックとイエナ両大学で法学を専攻。1833年イエナで学生組合の政治運動に関係した疑いで投獄される。36年ベルリンでは不敬罪と国家反逆罪のかどでふたたび逮捕され、一度は死刑を判決されたが30年の要塞(ようさい)禁錮刑に減刑され、40年大赦により釈放された。その後十数年間農業に従事してから、家庭教師となって各地を転々とし、農民生活の現実や地方が抱える社会問題に触れた。43歳のとき発表した低地ドイツ語による詩が予想外の成功を収め、以後アイゼナハに居を構え、方言文学の創作に専念し、優れた写実主義小説を残した。辛口のユーモアの漂う作品には、つねにプロイセンの軍国主義や封建的な地主や貴族への批判精神が横溢(おういつ)している。小説『わが農民時代より』(1862~64)が代表作。
[鈴木隆雄]
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ドイツの作家。メクレンブルク地方の生れ。過激な学生運動のかどで数年間投獄され,釈放後十数年農業労働者となったのち,低地ドイツ方言で批判と諧謔とに満ちた民衆的な詩や小説を書きはじめ,この分野の代表的存在となった。《家なくして》(1857),《フランス時代》(1859),《わが農民時代》(1862-64)などの作品は郷土的な物語が牧歌のままに終わらず,時代を代表する社会性に到達している。
執筆者:中田 美喜
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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