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ロジャーズ Rodgers, John

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ロジャーズ
Rodgers, John

[生]1773. アメリカ,メリーランド
[没]1838.8.1. アメリカ,フィラデルフィア
アメリカの軍人。 1799年海軍大佐。 1802~06年のバーバリ海賊との戦いでトリポリを封鎖。 12年のアメリカ=イギリス戦争ではイギリス海上交通の妨害,ワシントン攻撃後のイギリス軍に対する海兵隊による攻撃,ボルティモア防衛などで活躍。 23年に一時海軍長官をつとめた。

ロジャーズ
Rogers, Carl R(ansom)

[生]1902.1.8. イリノイ,オークパーク
[没]1987.2.4. カリフォルニア
アメリカの心理学者。オハイオ州立大学,シカゴ大学,ウィスコンシン大学教授を歴任。非指示的カウンセリングによる精神療法 (→来談者中心療法 ) によって知られ,また自我構造とその機能に関する研究や生活史における自我実現の原理などにより人格理論に貢献。主著カウンセリングと精神療法』 Counseling and Psychotherapy (1942) ,『クライアント中心療法』 Client-Centered Therapy (51) ,『エンカウンター・グループ』 On Encounter Groups (70) など。ほかに『ロジャーズ全集』 (23巻,66~85) がある。

ロジャーズ
Rogers, James Edwin Thorold

[生]1823. ハンプシャー,ウェストメオン
[没]1890.10.12. オックスフォード
イギリスの経済学者。ロンドン大学オックスフォード大学に学び,1859年ロンドン大学経済学,統計学教授。 62年,88年にオックスフォード大学経済学教授。自由党に属し,80~86年下院議員となる。イギリス歴史学派の一人で,研究分野は経済史が中心だったが,R.コブデンの見解を支持した自由貿易の理論家であり,また経済政策家であった。主著『イギリスの農業および物価の歴史』A History of Agriculture and Prices in England (8巻,1866~93) ,『歴史の経済的解釈』 Economic Interpretation of History (88) ,『英国商工業史』 Industrial and Commercial History of England (92) 。

ロジャーズ
Rogers, Samuel

[生]1763.7.30. ロンドン近郊
[没]1855.12.18. ロンドン
イギリスの詩人。富裕な銀行家の家に生れた。詩作のかたわら,E.バーク,W.スコット,バイロンなど多くの文人と交わり,巧みな話術によって社交界の寵児となった。『迷信に寄せる』 Ode to Superstition (1786) ,『記憶の楽しみ』 The Pleasures of Memory (92) ,バイロンの『チャイルド・ハロルドの巡礼』を模した『イタリア』 Italy (1822~28) などのほか,死後出版の『回想録』 Recollections (59) がある。

ロジャーズ
Rogers, Will; William Penn Adair Rogers

[生]1879.11.4. オクラホマ,クレアモア近郊
[没]1935.8.15. アラスカ,ポイントバロー近郊
アメリカの俳優。 1905年からニューヨークの舞台に登場,軽喜劇やミュージカルで人気を博し,特に「ジーグフェルド・フォーリーズ」にしばしば出演。 18年以後は映画にも出演。また『ニューヨーク・タイムズ』などに軽妙洒脱な警句に富んだ寄稿文を載せた。著書『自称外交官の大統領への手紙』 Letters of a Self-Made Diplomat to His President (1927) 。

ロジャーズ
Rogers, William

[生]1819.11.24. ロンドン
[没]1896.1.19. ロンドン
イギリスの教育家。教義の教育は両親と牧師の手にゆだねるべきであると主張し,「神学吊しのロジャー」として知られた。 1841年聖職叙任。 45年ロンドンのチャーターハウスのセント・トマス教会の牧師補に任じられ,教区内の貧民や犯罪者の教育に打込んだ。 63年ビショップスゲートのセント・ボトルフ教会の教区牧師に任じられ,中等教育レベルの高等小学校の教育に取組んだ。そのほかダルウィッチにある E.アレインの慈善事業を再興し,ビショップスゲート学院を設立するなど,教区の教化に努めた。

ロジャーズ
Rogers, William Pierce

[生]1913.6.23. ニューヨーク,ノーフォーク
[没]2001.1.2. メリーランド,ベセスダ
アメリカの政治家。コルゲート大学卒業。弁護士を経て 1957年 D.アイゼンハワー政権の司法長官,1969~73年 R.ニクソン政権の国務長官を務め,対外政策の面で堅実な手腕を発揮した。

ロジャーズ
Rogers, Woodes

[生]1679?
[没]1732.7.16. バハマ諸島,ナッソー
イギリスの私略船船長。 1708年外国の海賊に船を奪われたブリストル商人の援助を受け,世界をまたにかけた私略行為に出航。途中太平洋でアレクサンダー・セルカーク (ロビンソン・クルーソーのモデルとなった人物) を救出。各地で海賊行為を働いて,11年帰国。 17年バハマ総督に任じられ,これまでとは逆にカリブ海の海賊を平定して秩序確保に貢献した。

ロジャーズ
Rogers, Ginger

[生]1911.7.16. ミズーリ,インディペンデンス
[没]1995.4.25. カリフォルニア,ランチョミラージュ
アメリカ合衆国のダンサー,女優。本名 Virginia Katherine McMath。1930年代のミュージカル映画におけるフレッド・アステアとのコンビで知られる。ボードビルでダンサーとして仕事を始め,1929年に『トップスピード』Top Speedでブロードウェーにデビュー。ジョージ・ガーシュイン作曲の『ガール・クレイジー』Girl Crazy(1930~31)に主演後ハリウッドへ移住,映画に出演するようになると軽薄なブロンド女という役回りが定まった。1933年にアステアと初共演した『空中レビュー時代』Flying Down to Rioが好評を博し,『コンチネンタル/離婚協奏曲』The Gay Divorcee(1934),『トップ・ハット』Top Hat(1935)など 9作品続けて共演した。ダンサーとして有名だが本人は演技を好み,『恋愛手帖』Kitty Foyle(1940)ではアカデミー賞主演女優賞を獲得。1965年『ハロー・ドーリー』Hello Dollyで舞台に復帰した。

ロジャーズ
Rodgers, Richard

[生]1902.6.28. ニューヨーク
[没]1979.12.30. ニューヨーク
アメリカのミュージカル作曲家。コロンビア大学 (中退) ,音楽芸術学校 (現・ジュリアード音楽院) 在学中から,脚本家ローレンツ・ハートとのコンビで数多くのミュージカルを手がけ,1942年ハートが没するまで,『マイ・ファニー・バレンタイン』などの名曲を含むミュージカル,喜劇などを発表。その後,O.ハマースタイン 2世とコンビを組み,43年の『オクラホマ!』 Oklahoma!は 2248回というブロードウェー史上に残るロングランを続け,ピュリッツァー賞も受賞,世界的な名声を得た。以後次々とトニー賞を受賞するヒット作を生み出し,『南太平洋』 South Pacific (1949,ピュリッツァー賞も受賞) ,『王様と私』 The King and I (51) ,『サウンド・オブ・ミュージック』 The Sound of Music (59) など,のちに映画化されたものも数多い。

ロジャーズ
Rogers, Richard

[生]1933.7.23. フィレンツェ
イタリア生まれのイギリスの建築家。フルネーム Richard George Rogers。1937年イギリスに移住。ロンドンの AAスクールで学び,アメリカ合衆国のエール大学に留学。そこでノーマン・R.フォスターと知り合い,1963年チーム4を設立。この頃の作品には映画『時計じかけのオレンジ』のロケーションに使われたジェッフィ邸(通称スカイブレイク・ハウス)がある。1970年,レンゾ・ピアノとともにピアノ・アンド・ロジャーズを設立。国際設計競技(コンペティション)によって機会を得てジョルジュ・ポンピドー国立芸術文化センター(1977)を完成させる。1977年にジョン・ヤング,マイク・デービスらとリチャード・ロジャーズ・パートナーシップを設立。コンペティション 1等入選に,ロイズ・オブ・ロンドン(1986),ヨーロッパ人権裁判所(1995)などがある。

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デジタル大辞泉の解説

ロジャーズ(Carl Ransom Rogers)

[1902~1987]米国の臨床心理学者。患者本位の来談者中心療法を開発した。著「カウンセリングと心理療法」。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

ロジャーズ

米国の作曲家。コロンビア大学在学中,作詞家ハートLorenz Hart〔1895-1943〕と知り合い,コンビを組み,《ギャリック・ゲイエティー》などのオペラを書いた。
→関連項目ミュージカル

ロジャーズ

英国の経済史家。農業史を物価史との関連で研究し,画期的な業績をあげた。ロンドン大学とケンブリッジ大学に学び,聖職につく。穀物法反対運動で知られるコブデンの影響をうけて,農業問題に関心をよせるようになり,ロンドン大学,オックスフォード大学で統計学・経済学の教授を務めた。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ロジャーズ【James Edwin Thorold Rogers】

1823‐90
イギリスの経済史学者,政治家。穀物法反対運動で知られるR.コブデンとの交流を通じて農業問題に関心を抱く。1880‐86年自由党庶民院議員。1866年以来,大著《イギリス農業・物価史》を刊行,没後の1902年に第7巻が出て完成した。いまだに物価史研究の基本文献となっているこの著作は,農業史そのものや農民の生活史の研究としても,画期的な作品であった。【川北 稔】

ロジャーズ【Richard Rodgers】

1902‐79
多くの名作ミュージカルを書いたアメリカの作曲家。音楽好きの両親の影響を受け,14歳のとき初めて歌を作り,コロンビア大学時代に知り合った作詞家ローレンツ・ハートLorenz Hart(1895‐1943)と,1925年の《ギャリック・ゲイエティーズ》を手始めに,次々にミュージカルを合作した。その中には《マイ・ファニー・バレンタインMy Funny Valentine》などの名歌が含まれていた。43年には作詞家オスカー・ハマースタインと新コンビを組み,《オクラホマ!Oklahoma!》(1943),《南太平洋South Pacific》(1949),《サウンド・オブ・ミュージックThe Sound of Music》(1959)など不朽の名作を書いた。

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大辞林 第三版の解説

ロジャーズ【Carl Ransom Rogers】

1902~1987) アメリカの心理学者。伝統的な指示的療法に対し、非指示的なカウンセリングを提唱し、来談者中心療法を創始した。主著「カウンセリングと心理療法」

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内のロジャーズの言及

【ミュージカル】より

…これはミシシッピ川を往来するショーボートをおもな舞台にして,一座の座長の娘と流れ者の賭博師とのロマンスを描いたものであるが,同時に,人種差別のせいで不幸になる一座の花形女優の物語をも扱い,黒人がおおぜい登場する点,また,個々のナンバーがプロットと緊密につながっている点で,画期的な作品だった。カーンにやや遅れて現れ,第2次大戦前の時期に,あるいは戦後まで,活躍したおもな作曲者は,I.バーリン,G.ガーシュウィン,K.ワイル,C.ポーター,R.ロジャーズなどである。バーリンは詞も書き,最初はおもにレビューの仕事をして無数のヒット・ソングを生んだが,射撃が巧みな娘を主人公にした野趣と生気の充満する《アニーよ銃をとれ》(1946)によって,本格的なミュージカルでも優れた業績を残した。…

※「ロジャーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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