日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロート」の意味・わかりやすい解説
ロート(Joseph Roth)
ろーと
Joseph Roth
(1894―1939)
オーストリアの作家。旧オーストリア帝国の東部国境に近いガリチア州のブロディーのユダヤ人家庭に生まれる。地元の高校を卒業後、同化の途(みち)を目ざし、ウィーン大学に学ぶ。第一次世界大戦に参加ののち、ジャーナリストとしてたち、まもなく新興の世界都市ベルリンへ移って活躍、有名な『フランクフルト新聞』をはじめ種々の新聞雑誌に寄稿した。ヨーロッパ各地への取材旅行のかたわら創作にも手を染め、『サボイ・ホテル』(1924)、『果てしなき逃走』(1927)、『ヨブ――ある愚かな男の物語』(1930)など、故郷ガリチアのユダヤ人世界を舞台とする作品を書いて注目され、祖国ハプスブルク帝国の没落の歴史を描く長編『ラデツキー行進曲』(1932)によって作家としての名も不動のものにした。1933年ヒトラー政権が成立するや国外に亡命、もっぱらパリに住み、愛惜の念を込めていまはなき祖国を回想する作品を執筆、多民族国家の理念に殉ずる人物を創出して、民族主義を批判し、ナチスを断罪した。そうしたものに『カプチン派教会の納骨堂』(1938)、『千二夜物語』(1939)などの長編、『美の勝利』(1934)、『皇帝の胸像』(1934)などの短編がある。彼の作品はなによりもまず読み物としておもしろいが、その本質は絶望から発した過去の理想化であり、願望としての汎(はん)ヨーロッパ文化理念の詩的表現である。39年亡命先のパリで客死した。
[平田達治]
『柏原兵三訳『ラデツキー行進曲』(1967・筑摩書房)』
ロート(André Lhote)
ろーと
André Lhote
(1885―1962)
フランスの画家。ボルドーに生まれる。同地の美術学校で彫刻を学び、のち絵画に転じて1908年パリに出た。初めゴーギャンやセザンヌに傾倒し、やがてキュビスムの運動に加わった。対象を独特の明確な形態と色面に分解し再構成する理論を樹立して、特徴的な画面をつくった。ネオ・キュビスムともよばれているが、あまりにも理論にこだわったため、作品の芸術的な創造性に欠けるきらいがある。アンデパンダンやサロン・ドートンヌに出品、一時、日本の二科会の会員でもあった。教育者や美術評論家として才能を発揮し、モンパルナスに研究所を創設したほか、『絵画――魂と精神』(1934)、『風景画論』(1937)などの著作がある。パリに没。
[染谷 滋]
ロート(Eugen Roth)
ろーと
Eugen Roth
(1895―1976)
ドイツの詩人、小説家。ミュンヘンに生まれる。ジャーナリストとして活躍したのち、『人さまざま』(1935)、『人とひとでなし』(1948)など人間の愚かしさ、弱さを、風刺を込めて快活に謳(うた)い上げた一連の作品によって、ミリオンセラーの詩人となった。詩集『歴史上の女たち』(1936)、『名医やぶい竹庵(ちくあん)先生』(1939)、『ロートの動物生態学』(1948~49)でも、機知と風刺の効いたユーモラスな、戯画の世界を展開している。
[幅 健志]