ワッハーブ派
わっはーぶは
イスラム教の一派。ワッハーブ派とよばれるが、実態は独立の宗派というより宗教運動に近い。ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブ(1703―87)の主唱に基づき、サウジアラビア建国の基礎となったイスラムの宗教改革運動をいう。
ワッハーブは若いころスーフィズム(イスラム神秘主義)に傾倒したが、のちにハンバリー学派に属したイブン・タイミーヤ(1263―1328)の著作に共鳴し、新しい宗教運動を開始した。彼の思想は、原始イスラムに付加された革新(ビドア)のいっさいを否定し、「コーランとスンナ(預言者の範例)に戻れ」と説く復古あるいは純化主義である。聖者崇拝など非イスラム的要素を受容したスーフィズムを排斥する一方、伝統に安住し無気力に陥ったウラマー(法学者)をも非難した。18世紀中ごろ、サウド家のイブン・サウドがワッハーブの宗教運動を支持・支援して以来、ワッハーブ運動は軍事的に拡大され、第一次ワッハーブ王国をアラビア半島に建てた。この運動はその後盛衰を繰り返しつつも、1932年にイブン・サウドの子孫によってサウジアラビアを建国するまでに至った。
ワッハーブ運動はイスラム近代化の先駆をなし、イスラム世界に与えた影響は大きい。シャリーア(イスラム法)に基づくイスラム国家実現の理念はムスリムの宗教・政治運動の支えとなり、類似した運動がインド、アフリカなどの各地で相次いで生じた。それらの運動をワッハーブ主義とよぶこともある。それはまた今日イスラム世界に広くみられるイスラム原理主義的運動の源流をなすものでもある。
[小田淑子]
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「ワッハーブ派」の意味・わかりやすい解説
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ワッハーブ‐は【ワッハーブ派】
〘名〙 (ワッハーブはWahhāb)
スンニー派、ハンバル学派に端を発し、急進的なイスラム改革を唱えた宗教、政治運動。一八世紀半ばアラビア半島に起こった。創始者はムハンマド=ブン=アブド=アルワッハーブ。イスラムの純化を主張し、近代イスラムの諸改革運動の先駆けとなる。サウド家と結び付き勢力を拡大した。現在はサウジアラビアの
国教。
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デジタル大辞泉
「ワッハーブ派」の意味・読み・例文・類語
ワッハーブ‐は【ワッハーブ派】
《Wahhāb》18世紀半ばアラビア半島で、ムハンマド=イブン=アブドル=ワッハーブが起こしたイスラム教の一派。コーランとスンナの厳格な適用を主張し、後代の付加物をすべて異端として否定。サウジアラビア王国はこの派を国是としている。
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ワッハーブ派
ワッハーブは
Wahhāb
18世紀半ばにアラビア半島でおこったイスラーム改革派
ネジド地方でアブド=アルワッハーブが神秘主義や聖者崇拝を否定して原始イスラームへの回復を唱え,極端な禁欲主義をとった新宗派。現サウジアラビア王国の国教でもある。
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世界大百科事典内のワッハーブ派の言及
【イスラム】より
…そしてまた,そこには,批判し抵抗する主体,闘う共同体の意識を,国土や根拠地に根ざして発酵させようとする運動としての強烈なジハードの志向もまたみられた。 第1に挙げなければならないのは,アラビア半島に起こったワッハーブ派の運動である。そこで発揮されたイスラムの復古的純化の思想と共通のものは,インドのシャー・ワリー・ウッラーの立場や,またその影響下で北インドにジハードを展開しようとしたサイイド・アフマド・バレールビーのムジャーヒディーン運動,あるいはベンガルで強力な展開を示したファラーイジー運動などにも,これを見いだすことができる。…
【シリア】より
…シリアの各地はそれに対して自衛するためにも経済力・軍事力を涵養しなければならず,そのことがまた割拠を強めた。 周辺からの圧力の代表的なものに,アラビヤ半島に興ったワッハーブ派が,19世紀初頭にメソポタミアを越えてシリアへ侵入してきたという例がある。巡礼行路の安全を確保するのはオスマン中央政府の威信にかかわる問題であり,エジプトのマムルーク勢力に討伐を命ずると,恭順を装いながら好機を狙っていた彼らマムルークは勇躍する。…
※「ワッハーブ派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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