デジタル大辞泉
「一万田尚登」の意味・読み・例文・類語
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一万田尚登
いちまだひさと
(1893―1984)
日銀総裁、政治家、蔵相。大分県出身。東京帝国大学法科卒業。1918年(大正7)日本銀行に入り、京都支店長、考査部長などを経て、1944年(昭和19)理事。1946年(昭和21)第18代日本銀行総裁となり戦後インフレの抑制に努める。その間、1951年9月サンフランシスコ講和会議の全権委員となる。1954年日銀総裁を辞任、同年第一次鳩山一郎(はとやまいちろう)内閣に蔵相として入閣、以後第二次、第三次鳩山、第一次岸信介(のぶすけ)各内閣の蔵相を歴任し、デフレ政策を実行、「一万田法王」の異名でよばれた。1969年政界から引退。
[宮﨑 章]
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一万田尚登
いちまだひさと
[生]1893.8.12. 大分
[没]1984.1.22. 東京
日本銀行総裁,政治家。東京大学を卒業し日銀に入る。 1944年理事,46年 18代総裁となり,54年鳩山内閣の蔵相となるまで,8年6ヵ月の長期間在任。第2次世界大戦後の経済再建期の金融界に君臨し,一万田法王と呼ばれた。 57年岸内閣でも蔵相に再任したが,67年政界を引退した。
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一万田尚登 いちまだ-ひさと
1893-1984 昭和時代の銀行家,政治家。
明治26年8月12日生まれ。日本銀行にはいり,大阪支店長などをへて,昭和21年総裁。以後8年半,インフレ抑制策を中心に戦後の金融政策を推進。銀行界などにつよい発言力をもち,「法王」とよばれた。29年から蔵相4回。30年衆議院議員(当選5回,自民党)。昭和59年1月22日死去。90歳。大分県出身。東京帝大卒。
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