デジタル大辞泉 「一畑寺」の意味・読み・例文・類語 いちばた‐じ【一畑寺】 島根県出雲市小境こざかい町にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は医王山。また、一畑薬師教団の本山。本尊の薬師如来は眼の薬師ともいわれ有名。一畑薬師寺。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「一畑寺」の意味・読み・例文・類語 いちばた‐でら【一畑寺】 島根県出雲市小境町にある臨済宗妙心寺派の寺。宍道(しんじ)湖北方に位置する。山号は医王山。寛平六年(八九四)の創建と伝える。本尊の薬師如来は眼病に霊験があるといわれ有名。いちばたじ。一畑薬師。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「一畑寺」の解説 一畑寺いちばたじ 島根県:平田市小境村一畑寺[現在地名]平田市小境町小境(こざかい)町の北方山中にある臨済宗妙心寺派寺院で、山号は医王山。一畑薬師の名で知られ、一畑薬師教団の総本山でもある。寺伝によると、寛平六年(八九四)に、赤浦(あかうら)灘の漁師坂野与市が海中から薬師如来像を拾い、この地に薬師堂を建立するとともに、与市も出家して如来に仕えたという。初め天台宗に属したが、鎌倉時代になって臨済宗寺院となったという(平田市誌)。弘治二年(一五五六)二月二〇日付の尼子晴久寄進状(一畑寺文書)と、これに添えられた尼子晴久袖判寄進坪付(同文書)によると晴久は曾祖父の尼子持久以来続いた出雲国の争乱を鎮めることができたのも、神仏の加護のおかげとして、小境村の田地一町を寄進している。同様な文書は、天文二四年(一五五五)二月二八日付で杵築大社(出雲大社)や日御崎社(日御碕神社)、揖屋(いや)神社(現東出雲町)に発給されているが(「尼子晴久寄進状」井上家文書など)、こうした諸社と同様な処遇を受ける寺院であったことが知られる。おそらくこれ以前から、薬師信仰と修験の霊場として、地域の人々の信仰を集めていたのであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
事典・日本の観光資源 「一畑寺」の解説 一畑寺(第26番) (島根県出雲市)「中国三十三観音霊場」指定の観光名所。 出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報 Sponserd by