七ヶ宿街道(読み)しちがしゆくかいどう

日本歴史地名大系 「七ヶ宿街道」の解説

七ヶ宿街道
しちがしゆくかいどう

奥州街道を桑折こおり(現福島県伊達郡桑折町)で分れ、標高四四一メートルの小坂こさか峠を越え、仙台領に入る。上戸沢かみとざわ・下戸沢(現白石市)渡瀬わたらせせき滑津なめつ峠田とうげだ湯原ゆのはら(現七ヶ宿町)の七宿場を通り、標高六三三メートルの金山かねやま峠を越えて上山かみのやま(現山形県上山市)羽州街道に合流する。金山峠猿鼻さるはな峠ともいう(仙台領遠見記)湯原の西一キロに「右はもがみ海道」「左は米沢海道」と刻まれた庚申塔があり、もがみ海道が金山峠越で、米沢海道は同峠南の二井宿にいじゆく(標高五六八メートル)を越え、高畠たかはた(現山形県東置賜郡高畠町)・米沢に至る。一里塚は元禄一二年(一六九九)の仙台藩御領分絵図(宮城県図書館蔵)によると一〇ヵ所あり、現在も湯原の干蒲ひかばに一里塚の地名が残る。肝入・検断・本陣を世襲した関の渡部家に残る文書によれば並木はなかった。「安永風土記」関村・滑津村の項に、天授六年(一三八〇)伊達氏が長井氏の本領長井ながい(現山形県長井市周辺)を攻めた時、伊達家九代の政宗が通ったことが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「七ヶ宿街道」の解説

七ヶ宿街道

山形県上山市から宮城県七ヶ宿町白石市を経て福島県の国見町へ至る江戸時代の街道。羽州街道の一部で、奥羽13藩の大名参勤交代の際に通ったほか、出羽三山参りの旅人にも利用される主要な街道のひとつだった。名称は、街道沿いに七つの宿場町があったことにちなむ。白石市の一部区間は「日本の道百選」(建設省)に選定されている。

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事典・日本の観光資源 「七ヶ宿街道」の解説

七ヶ宿街道

(宮城県白石市)
日本の道100選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の七ヶ宿街道の言及

【七ヶ宿[町]】より

…阿武隈川の支流白石川の最上流域を占め,町域のほとんどは林野である。白石川に沿う七ヶ宿街道は羽州街道の一部で,江戸時代は奥羽13藩の参勤交代に利用され,上戸沢,下戸沢(以上白石市),渡瀬(わたらせ),関,滑津(なめづ),峠田,湯原(ゆのはら)の七つの集落は宿駅としてにぎわった。明治以降,鉄道の発展から取り残され,農業集落化した。…

※「七ヶ宿街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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