生後7日目の祝い。出産儀礼のうち最も重要なものの一つで,産婆,近親者などを招いて小宴をはり,贈答がなされる。七夜に行われる行事は地方によっていろいろで,この日に生児の命名(名付け)を行い,ナビラキの祝をする地方は多い。現在も生児の命名は七夜までに行われている。またヒトウブヤ,オヤノイワイ,枕下げなどといって,産婦の忌明けの祝を主としているところも多い。産婦の忌の晴れていく最初の段階であって,父親の忌は一般にこの日で明けるとされている。また七夜をウイデ,デゾメ,イダシハジメなどといって,生児にはじめて日の目を見せる初外出の儀礼がある。生児におむつや菅笠などをかぶせて,竈神,井戸神,厠(便所)神,屋敷神などに参って供物をする。雪隠(便所)まいりは関東地方およびその周辺にみられる。関西以西ではこの日に産毛剃りをするところが多い。さらに七夜にカオミとかコヤミマイなどといって,麩とかかんぴょうなどを持って産見舞をする例もある。宮中や公卿の古記録によると,産養(うぶやしない)といって,出生の当日を初夜,3日目を三夜,5日目を五夜,7日目を七夜,9日目を九夜として饗饌(きようせん)を設け,生児の成長を祝ったが,のちには七夜のみを祝うようになった。また鳴弦(めいげん)の儀といって,弓の弦を鳴らしてもののけをはらう儀式が行われた。民間でも宮崎県や屋久島,沖縄本島などで,七夜に矢を放って魔をはらう弓祝が行われている。
医学の進んでいなかった時代には,生児が七夜までに死亡する場合が多く,七夜はその生存をたしかめる第1段階であり,母子ともに産の忌の晴れてゆく第1段階でもあった。七夜に行われる行事は地方ごとにちがい,その前後の出産儀礼と関連して,名付け,忌明け,初外出,産毛剃り,産見舞などのうちいずれかの意味が強調されている。
執筆者:大藤 ゆき
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生後7日目の祝い。現在も生児の命名は七夜までに行われている。古くはウブヤシナイといって、出生当日を初夜、ついで三夜、五夜、七夜、九夜を祝ったが、その後ほかは廃れて七夜のみとなった。地方によって七夜をヒトウブヤ、オヤノイワイ、オキビ、ヒサラエなどといい、産婦が床上げをする日としている所は多く、産婦の忌みが晴れる第一段階としている。父親の忌みはこの日で晴れるとする所が多い。この日生児に命名をし、名広めの祝いとして産婆、仲人(なこうど)の女親(仲人の妻)、親戚(しんせき)などを招いて祝う。名前は一般に父親がつけるが、名付け親を頼む場合もある。昔は生児が七夜までに死亡する場合が多く、七夜はその成長を確かめるだいじな折り目でもあった。この日をウイデ、デゾメなどといって、生児の初外出として、家の神、竈(かまど)神、井戸神などに参る風が広くみられる。関東から中部地方にかけては便所神に参る風習がある。
[大藤ゆき]
『「家閑談」(『定本柳田国男集15』所収・1963・筑摩書房)』▽『恩賜財団母子愛育会編『日本産育習俗資料集成』(1975・第一法規出版)』▽『大藤ゆき著『児やらい』(1968・岩崎美術社)』▽『松岡利夫著『人生儀礼』(1962・吉川弘文館)』
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…生まれたばかりの子どもは,霊界ともいうべきところからこの世に取り上げられてまもないため,非常に不安定な状態にあると考えられた。とくに生後3~7日目まではその心配が最も大きく,三日祝や七夜は生児がこの世に生存するか否かの第一段階ともみられた。生後すぐはぼろにくるみ,胎毒下しと称してマクリなどを飲ませておき,三日祝のときに産着を着せ,同じころに産をした異性の子をもつ人の乳を〈乳つけ〉として与えてもらった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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