コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

万石騒動 マンゴクソウドウ

百科事典マイペディアの解説

万石騒動【まんごくそうどう】

江戸時代,安房(あわ)国の北条藩領内で起きた百姓一揆。藩主の屋代(やしろ)氏の領知が1万石であることに由来するが,財政がままならぬなか用人(ようにん)家老相談役の川井藤左衛門が派遣されて年貢(ねんぐ)の増徴を行い,酒屋・糀屋(こうじや)の運上(うんじょう)金を取り立てるなどの諸策を断行した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

まんごくそうどう【万石騒動】

1711年(正徳1)に安房国(千葉県)北条藩領(現在の館山市に藩庁所在)安房・朝夷(あさい)両郡内の40ヵ村に起きた百姓一揆。藩主屋代氏の領地1万石の村々の一揆なので万石騒動と呼ばれる。北条藩では財政不如意のために新参の用人家老相談役川井藤左衛門を藩領に下向させて,代官ともども過酷な年貢増徴(前年(宝永7)の1万石の惣成に引き合わせて6000俵余の高免の年貢割付け)を行う一方,すでに幕府により廃止された酒屋糀屋(こうじや)運上金を取り立てるなど,百姓の嘆訴を拒否して搾取を強行した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

まんごくそうどう【万石騒動】

1711年安房あわ国北条藩安房・朝夷両郡で起きた百姓一揆いつき。一万石の領地内で起きたので、この名がある。農民たちは藩の年貢増徴策に反対して蜂起ほうき、幕府は藩主を改易、家老を打ち首に処し、農民の要求を認めた。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

万石騒動
まんごくそうどう

江戸時代中期の百姓一揆(いっき)。1711年(正徳1)11月、安房(あわ)国(千葉県)安房・朝夷(あさい)両郡にわたる27か村の惣百姓(そうびゃくしょう)600人は名主を中心に蓑笠(みのかさ)姿で江戸の領主屋敷へ門訴した。当時の北条(ほうじょう)藩主は屋代忠位(やしろただたか)、石高(こくだか)は1万石、北条(館山(たてやま)市内)に陣屋を置き、江戸に屋敷があった。「房州一万石村々惣百姓」の名で門訴したので万石騒動といわれる。この年の秋、新家老川井藤左衛門(かわいとうざえもん)は藩の財政難を打開するため過酷な検見(けみ)を行い、神社仏閣の木を伐(き)って売り、農繁期の百姓に労役を課し、新規運上を出させた。一揆はこれら一連の増徴策に対するもので、藩主への門訴から老中に対する駕籠訴(かごそ)へと進んだ。藩は3人の名主を斬罪(ざんざい)に処したが、幕府は屋代の領地を没収し、家老を打首、代官を追放して農民の要求を認めた。農民は刑死した名主を供養するために3体の石仏と常夜灯をつくり、やがて一揆の記録として『万石騒動日録』などが生み出された。[深谷克己]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の万石騒動の言及

【館山[市]】より

…戦国時代末期には稲村城,のち館山城に里見氏が拠り,城下町も形成され,市も開かれた。近世は天領と小藩領で,1711年(正徳1)には北条藩領で年貢の過重取立てをめぐる万石騒動が起こっている。カツオなどの遠洋漁業のほか,天保改革以来絹織物に代わって武士,商人の間で愛用された唐桟織も盛んであった。…

※「万石騒動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

万石騒動の関連キーワード会津御蔵入騒動根本五左衛門秋山角左衛門飯田長次郎佐藤三喜蔵木内惣五郎館山[市]酒井 真右高井喜三郎小島文次郎深谷克己屋代忠位板倉勝承高崎藩打ち首評定所農民老中

今日のキーワード

明鏡止水

《「荘子」徳充符から》曇りのない鏡と静かな水。なんのわだかまりもなく、澄みきって静かな心の状態をいう。「明鏡止水の心境」...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android