林鶴一(読み)ハヤシツルイチ

デジタル大辞泉 「林鶴一」の意味・読み・例文・類語

はやし‐つるいち【林鶴一】

[1873~1935]数学者徳島の生まれ。東北大教授。日本最初の数学専門誌「東北数学雑誌」を創刊し、和算研究家としても活躍教科書啓蒙書の著作も多い。

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精選版 日本国語大辞典 「林鶴一」の意味・読み・例文・類語

はやし‐つるいち【林鶴一】

  1. 数学者。徳島県出身。明治四四年(一九一一)東北帝国大学理学部創立に際して、数学の主任教授就任、「東北数学雑誌」を発刊、和算の研究家として知られる。著書「和算研究集録」。明治六~昭和一〇年(一八七三‐一九三五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「林鶴一」の意味・わかりやすい解説

林鶴一
はやしつるいち
(1873―1935)

数学者。徳島市に生まれる。徳島中学、京都の第三高等中学を経て、1897年(明治30)東京帝国大学理科大学数学科を卒業した。京都帝国大学理工科大学助教授、松山中学教諭、東京高等師範学校講師を経て、1911年(明治44)4月東北帝国大学数学科教授となり、創立当時の東北大学の基礎を固めるのに功績があった。日本最初の数学専門の学術誌(『東北数学雑誌』)の発行により数学界に大きな刺激を与えたことや、関孝和(せきたかかず)の「解伏題の法」が行列式の理論を含んでいることの発見など和算の研究で知られている。また、公算論、級数概論、射影幾何学などの高等数学の啓蒙(けいもう)書を大倉書店より数学叢書(そうしょ)として発行したこと、明治末期より昭和10年ごろにかけて全国を風靡(ふうび)した中等教育用の代数学教科書、幾何学教科書(ともに東京開成館発行)などの著者初代の日本中等教育数学会会長(1919~1927)として数学教育、啓蒙に貢献した。

[佐々木重夫]

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20世紀日本人名事典 「林鶴一」の解説

林 鶴一
ハヤシ ツルイチ

明治・大正期の数学者 東北帝大名誉教授



生年
明治6年6月13日(1873年)

没年
昭和10(1935)年10月4日

出生地
徳島市

学歴〔年〕
東京帝大卒

学位〔年〕
理学博士〔大正1年〕

経歴
京大助教授、松山中学教諭、東京高師教授を経て、明治44年東北帝大理学部設立に際し数学教室初代教授に就任。同年藤原松三郎らと共に「東北数学雑誌」を発刊、数学教授法に新機軸を開き、日本数学の発展に貢献した。大正8〜12年理学部長をつとめ、昭和4年退官、名誉教授となる。文部省視学委員、日本中等教育数学会(現・日本数学教育学会)の初代会長を務めた。数学教育に関する著作でも知られ、また和算史の研究者としても一家をなした。著書に「数学叢書」(共編著 全29巻)、「和算研究集録」(全2巻)など。

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改訂新版 世界大百科事典 「林鶴一」の意味・わかりやすい解説

林鶴一 (はやしつるいち)
生没年:1873-1935(明治6-昭和10)

数学者。東北大学数学教室の初代の教授として,多くの数学者,数学教育者,数学史家を育てた。徳島に生まれ,京都の第三高等中学校を卒業する。ここで河合十太郎に師事する。晩年,和算の研究に没頭したのは河合の影響による。東京大学では,菊池大麓や藤沢利喜太郎の指導を受ける。同級生に高木貞治と吉江琢児がいた。東北大学では,図書館長,理学部長を歴任する。また,《東北数学雑誌》を自力で出版したり,和算に関する多くの論文を提出し,さらに数学に関する優れた教科書を出版した。退官後は文部省視学委員として高等学校を視察する。松江高校視察中逝去。日本数学教育学会の前身,日本中等教育数学会の初代会長となり,数学教育に多大な影響を与えた。和算に関する多数の論文は没後,《林鶴一博士和算研究集録》全2巻(1937)として公刊された。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林鶴一」の解説

林鶴一 はやし-つるいち

1873-1935 明治-昭和時代前期の数学者。
明治6年6月13日生まれ。44年創設された東北帝大の数学科主任教授となる。国際的な評価をうけた「東北数学雑誌」を創刊。和算の研究で知られ,またすぐれた教科書を出版し,数学教育につくした。昭和10年10月4日死去。63歳。徳島県出身。帝国大学卒。

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367日誕生日大事典 「林鶴一」の解説

林 鶴一 (はやし つるいち)

生年月日:1873年6月13日
明治時代;大正時代の数学者。東北帝国大学名誉教授;理学博士
1935年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の林鶴一の言及

【鎌倉アカデミア】より

…戦争で手を汚さなかった教授陣を集め,文部省の中央集権的教育統制の外で,民主主義的な男女共学により,教授と学生とがお互いに鍛え合う学びの場をつくることを目ざした。初代校長飯塚友一郎の後をうけた三枝博音校長の下の陣容は,学監服部之総,教務課長菅井準一,文学科長林達夫,演劇科長村山知義,映画科長重宗和伸,産業科長早瀬利雄,図書部長片岡良一。のちに横浜市戸塚区小菅谷の旧海軍燃料廠に移転したが,財政難にアカの風評が重なり,50年9月に廃校となった。…

【百科事典】より

…続いて冨山房も《国民百科大辞典》全15巻(1934‐37)を刊行した。 第2次大戦の敗戦から,文化国家として立ち直ろうとするなかで,その基礎を作る役割を果たしたのは事典出版に力を注ぐ平凡社で,林達夫を編集長とした《世界大百科事典》は,戦後間もなく編集に着手し,1955‐59年に全31巻と索引を刊行した。編集方針の第1に,〈世界的視野に立ち,先進大国のみならず後進諸国の諸文化をも軽視せずに採上げる。…

※「林鶴一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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