三内丸山遺跡(読み)サンナイマルヤマイセキ

デジタル大辞泉 「三内丸山遺跡」の意味・読み・例文・類語

さんないまるやま‐いせき〔‐ヰセキ〕【三内丸山遺跡】

青森市にある縄文前期から中期の遺跡。大規模な竪穴住居掘立柱建物・墓地跡が確認され、多数の木製品・漆器・骨角器などが出土。また、各地の翡翠ひすい黒曜石などの出土物から、遠隔地との交易もあったものとみられている。令和3年(2021)「北海道北東北縄文遺跡群」の一つとして世界遺産文化遺産)に登録された。

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共同通信ニュース用語解説 「三内丸山遺跡」の解説

三内丸山遺跡

青森市三内丸山にある約5500年~4千年前の縄文時代の大規模集落跡。長期間にわたって定住生活が営まれたとみられ、1992年からの調査で、大型建物の跡と考えられる直径約1メートルの木の柱や大規模な竪穴住居跡、大量の縄文土器や石器、土偶などが見つかった。2000年11月に国の特別史跡に指定された。

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精選版 日本国語大辞典 「三内丸山遺跡」の意味・読み・例文・類語

さんないまるやま‐いせき‥ヰセキ【三内丸山遺跡】

  1. 青森県青森市にある縄文前期から中期の遺跡。大規模な竪穴住居、掘立柱建物、墓地跡が確認され、多数の木製品、漆器、骨角器などが出土。また、各地の翡翠、黒曜石などの出土物から、遠隔地との交易もあったものとみられている。

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日本歴史地名大系 「三内丸山遺跡」の解説

三内丸山遺跡
さんないまるやまいせき

[現在地名]青森市三内 丸山

沖館おきだて川右岸に突出する俗に三内館という標高約五〇メートルの台地突端に営まれた旧石器時代後期、縄文時代早期末葉から後期初葉、および平安時代後半の遺跡。遺跡の標高は一〇―二五メートル。古く江戸時代より知られ、永禄日記館野越本(北畠氏蔵)元和九年(一六二三)条、菅江真澄の「すみかの山」寛政八年(一七九六)四月一四日などに、土器および土偶に関する記載がある。

昭和二七年(一九五二)から数回にわたり、地区を異にして発掘調査が行われ、多量の遺物が発見された。出土遺物は旧石器時代の石刃をはじめ、縄文早期末の早稲田第五群、前期および中期の円筒土器各型式・後期初葉土器のほか、青竜刀形石器を含む各種の石器や土偶などである。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三内丸山遺跡」の意味・わかりやすい解説

三内丸山遺跡
さんないまるやまいせき

青森県青森市、JR青森駅の南西3キロメートルにある小高い台地上の縄文時代集落遺跡。北西に陸奥(むつ)湾、南には八甲田(はっこうだ)山が望める。1992年(平成4)、県営野球場建設に先だつ発掘調査で遺跡の重要性が判明、保存が決定した。遺跡はその範囲が35ヘクタールという大規模なもの。集落の各施設-住居・墓・倉・残滓(ざんし)廃棄場が定められた地に、長期間整然と用益されている実態が明瞭(めいりょう)となった。発掘資料から推察すると、集落の存続期間は縄文時代前期の末から中期末まで1500年間にも及ぶ、まれにみる長期間であったことが判明し、加えて発見された土器などの量はリンゴ用段ボール箱で約4万箱、既調査地面積は5ヘクタール、全掘すればリンゴ用段ボール箱約25万箱と、膨大な量の資料が発掘されると予測される。しかも、質高く・多種多様・話題にこと欠かぬ豊富さである。遺跡規模・遺跡存続期間・遺跡包蔵物量ともに他の諸遺跡を圧倒・凌駕(りょうが)する大遺跡であると評価されるに至った。三内丸山遺跡のもつ個々の情報-計画的な集落設計、道路と墓列、大規模な造成、埋葬と墓地、祭祀(さいし)や供養、栗栽培、巨大木柱、朱漆やアスファルトなどが刻々と報道され、「縄文都市」という冠辞が三内丸山遺跡に与えられるに至った。現在、本遺跡をめぐっては考古学、文化人類学をはじめ諸学の援助を受け生態系、環境系、食料栽培など広汎(こうはん)な分析が進捗(しんちょく)しており、まさに「縄文学最前線」の観がある。三内丸山遺跡を熟視することで「都市」の概念を与えることの可否・長期間の連続性・膨大とされる遺物量の解釈がいっそう深められ、初めて本遺跡の価値は定着するであろう。1997年国の史跡に、2000年(平成12)特別史跡に指定。

水野正好

世界遺産の登録

2021年(令和3)、三内丸山遺跡はユネスコ(国連教育科学文化機関)により「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。

[編集部 2022年1月21日]


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国指定史跡ガイド 「三内丸山遺跡」の解説

さんないまるやまいせき【三内丸山遺跡】


青森県青森市三内の沖館(おきだて)川右岸に広がる、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5500~4000年前)の大規模な集落跡。日本最大級かつ最古の縄文遺跡。おおよそ1500年間続いた集落跡の多様な遺構・遺物から、わが国の縄文時代の常識を覆(くつがえす)すことになった貴重な遺跡である。発掘調査により、竪穴(たてあな)住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛り土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが発見され、集落全体の様子や当時の自然環境なども推測可能になった。膨大な量の発掘物には、縄文土器(深鉢形・浅鉢形など)、石器(鏃(やじり)、槍、磨製斧、皿など)、土偶、土・石製の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角牙貝(こっかくがかい)製器(針、釣り針、刺突具など)などがある。また、他の地域から運ばれたヒスイコハク、黒曜石などや、ヒョウタンゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によってクリの栽培が明らかになるなど、これまでの縄文文化のイメージを大きく変えた。1997年(平成9)に国史跡に、2000年(平成12)には特別史跡に、約2000点の出土遺物は重要文化財に指定された。遺跡内の展示室で出土遺物をみることができ、「縄文時遊館」には縄文時代を体験できる縄文ギャラリー、映像で遺跡を紹介する縄文シアター、ミュージアムショップやレストランなどがある。JR奥羽本線ほか青森駅から車で約20分。または市営バス「三内丸山遺跡前」下車、徒歩すぐ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三内丸山遺跡」の意味・わかりやすい解説

三内丸山遺跡
さんないまるやまいせき

青森県青森市の市街地南西,沖館川南岸の丘陵地帯に広がる縄文時代中期の遺跡。江戸時代から存在は知られていたが,1992年以降の発掘調査により,約 5900~4200年前の長期間にわたって人が定住していた大規模集落跡であることがわかった。大型掘立柱建物跡とみられる直径・深さ約 2mの柱穴 6個および直径約 1mのクリの木柱 3本が発見されたほか,大小の竪穴建物跡,土坑墓,盛り土,道路跡,貯蔵穴なども確認された。また,盛り土などからは大量の土器(→縄文土器)や石器,祭祀等に用いたとみられる土偶約 2000点,食生活を示す魚骨や獣骨,クリやクルミなどの堅果類,木製品(編みかご,漆器など),交易品とみられる翡翠黒曜石などが出土した。クリ,ゴボウ,ヒョウタン,マメなどの植物栽培の痕跡もみられた。1995年から遺跡の整備・公開が始まり,1997年に国の史跡,2000年に特別史跡に指定され,2003年には出土品 1958点が国の重要文化財に指定された。2021年,「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として世界遺産の文化遺産に登録された。

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改訂新版 世界大百科事典 「三内丸山遺跡」の意味・わかりやすい解説

三内丸山遺跡 (さんないまるやまいせき)

青森市の中央部を流れて青森湾に注ぐ沖館川の右岸台地上に営まれた,縄文時代前期中ごろから中期末までを中心とした大規模な集落跡。1992年から県運動公園の整備に伴う大規模な事前発掘が実施され,94年7月になって重要性が認識され,遺跡の保存が決定した。2000年に特別史跡に指定された。

 東北北部から北海道南部に発達した縄文時代前・中期の文化の内容と変遷を良好に示す。大規模な土木工事を伴う集落の造成,大型の掘立柱建物,計画的に配置された集落構成,クリの栽培など植物利用が主体の安定した経済と長期にわたる定住,木製・骨角器を含めた道具の全体像,遠隔地との交流の実態など,近年急速に解明の進んでいた縄文文化の実像を大規模な発掘によって総合的かつ具体的に示した。
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旺文社日本史事典 三訂版 「三内丸山遺跡」の解説

三内丸山遺跡
さんないまるやまいせき

縄文時代前〜中期,青森市西部の河岸段丘上にある集落遺跡
1992年以降の調査で,柱穴の深さ1.5m以上,直径1mという6本の柱列や数百棟の住居跡,500個以上の土偶などが出土している。'97年の調査で2列で長さ420mに及ぶ約250基の土壙墓 (どこうぼ) が出土したが,全面発掘でないため遺物や墓の数はもっと増加すると思われる。遺跡の広さが40ha以上という縄文時代最大規模の集落で,一時期の人口500人という推定があるが,反論もある。遺跡の北側斜面の低湿地で発掘された6本の柱列は,六本柱の建物跡であることがわかり,復元されている。しかし水際にあって生活の跡が見られず,その用途は不明。

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知恵蔵 「三内丸山遺跡」の解説

三内丸山(さんないまるやま)遺跡

青森市三内にある5500〜4000年前(縄文時代前期中頃〜中期)の大規模集落遺跡。三内遺跡の一部。野球場建設に伴う1994年の調査で直径1mのクリの巨大木柱列6本が出土、脚光を浴びた。長さ30m余の大型建物や約30の掘立柱建物跡、約500の竪穴住居跡、墓、盛り土遺構などが35haに分布している。栽培種らしいクリ、マメ、ヒョウタンなどとドングリ、獣・魚骨、土偶、膨大な量の土器、ヒスイ製品も出た。多人数の定住生活も想定され、縄文研究の画期を築いた。

(天野幸弘 朝日新聞記者 / 今井邦彦 朝日新聞記者 / 2007年)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「三内丸山遺跡」の解説

三内丸山遺跡
さんないまるやまいせき

青森市の西部丘陵上にある複合遺跡。縄文時代と平安時代の集落跡,中世の城館跡などが検出された。とくに縄文時代では,前期中葉~中期末葉の竪穴住居跡約500軒,大型住居跡約20棟,巨大な木柱を使用した大型の掘立柱建物跡,廃棄物を集中的に捨てていたブロック3カ所,成人用の土壙墓(どこうぼ),子供用と考えられる埋設土器,粘土採掘壙など,集落の具体的なようすを解明しうる遺構が検出された。国特別史跡。出土品のうち1958点は重文。

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百科事典マイペディア 「三内丸山遺跡」の意味・わかりやすい解説

三内丸山遺跡【さんないまるやまいせき】

青森県青森市の縄文時代前期〜中期の集落遺跡。1992年から工事の事前調査として発掘が開始されたが,その希有な内容から保存が決定された。出土物の量や住居,掘立柱,墓,ゴミ捨て場などの遺構の整然たる配置は前例を見ない。クリ,ヒエなどの植物栽培の可能性が論議されている。
→関連項目青森[市]

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事典 日本の地域遺産 「三内丸山遺跡」の解説

三内丸山遺跡

(青森県青森市三内丸山305)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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事典・日本の観光資源 「三内丸山遺跡」の解説

三内丸山遺跡

(青森県青森市)
あおもり魅力百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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