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三内丸山遺跡 さんないまるやまいせき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三内丸山遺跡
さんないまるやまいせき

青森市中心部の南西,沖館川の南に面する丘陵地帯に広がる縄文時代の遺跡。 1992年発掘開始。 1994年約 4500年前のものと推定される直径 1.8mの柱穴6個と,直径 80cmのクリ材と思われる木柱3本が発見された。

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デジタル大辞泉の解説

さんないまるやま‐いせき〔‐ヰセキ〕【三内丸山遺跡】

青森市にある縄文前期から中期の遺跡。大規模な竪穴住居掘立柱建物・墓地跡が確認され、多数の木製品・漆器・骨角器などが出土。また、各地の翡翠(ひすい)黒曜石などの出土物から、遠隔地との交易もあったものとみられている。

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百科事典マイペディアの解説

三内丸山遺跡【さんないまるやまいせき】

青森県青森市の縄文時代前期〜中期の集落遺跡。1992年から工事の事前調査として発掘が開始されたが,その希有な内容から保存が決定された。出土物の量や住居,掘立柱,墓,ゴミ捨て場などの遺構の整然たる配置は前例を見ない。
→関連項目青森[市]

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世界大百科事典 第2版の解説

さんないまるやまいせき【三内丸山遺跡】

青森市の中央部を流れて青森湾に注ぐ沖館川の右岸台地上に営まれた,縄文時代前期中ごろから中期末までを中心とした大規模な集落跡。古く江戸時代から菅江真澄などによって知られ,第2次大戦後は学術調査や小規模な開発事前調査も行われていた。1992年から県運動公園の整備に伴う大規模な事前発掘が実施され,94年7月になって重要性が認識され,計画が変更されて遺跡は保存された。 集落が最も拡大した中期半ばには,台地上を東西に延びる道があり,その東側には道を挟んで大人の墓が列をなし,台地のはずれから集落の中心まで420mも並んでいた。

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大辞林 第三版の解説

さんないまるやまいせき【三内丸山遺跡】

青森市南西部の縄文前期・中期の大規模集落遺跡。中期の巨木柱と掘立柱建物群、盛土遺構や谷の投棄場が発掘され、土偶・樹皮籠・ヒスイ珠が出土。数百人規模の縄文巨大集落と墓地が推定されている。

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国指定史跡ガイドの解説

さんないまるやまいせき【三内丸山遺跡】


青森県青森市三内の沖館(おきだて)川右岸に広がる、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5500~4000年前)の大規模な集落跡。日本最大級かつ最古の縄文遺跡。おおよそ1500年間続いた集落跡の多様な遺構・遺物から、わが国の縄文時代の常識を覆(くつがえす)すことになった貴重な遺跡である。発掘調査により、竪穴(たてあな)住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛り土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが発見され、集落全体の様子や当時の自然環境なども推測可能になった。膨大な量の発掘物には、縄文土器(深鉢形・浅鉢形など)、石器(鏃(やじり)、槍、磨製斧、皿など)、土偶、土・石製の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角牙貝(こっかくがかい)製器(針、釣り針、刺突具など)などがある。また、他の地域から運ばれたヒスイやコハク、黒曜石などや、ヒョウタンゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によってクリの栽培が明らかになるなど、これまでの縄文文化イメージを大きく変えた。1997年(平成9)に国史跡に、2000年(平成12)には特別史跡に、約2000点の出土遺物は重要文化財に指定された。遺跡内の展示室で出土遺物をみることができ、「縄文時遊館」には縄文時代を体験できる縄文ギャラリー、映像で遺跡を紹介する縄文シアターミュージアムショップレストランなどがある。JR奥羽本線ほか青森駅から車で約20分。または市営バス「三内丸山遺跡前」下車、徒歩すぐ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三内丸山遺跡
さんないまるやまいせき

青森県青森市、JR青森駅の南西3キロメートル、小高い台地上の縄文時代集落遺跡。北西に陸奥(むつ)湾、南には八甲田山が望める。1992年(平成4)、県営野球場建設に先だつ発掘調査で遺跡の重要性が判明、保存が決定した。遺跡はその範囲35ヘクタールという大規模なもの。集落の各施設-住居・墓・倉・残滓(ざんし)廃棄場が定められた地に、長期間整然と用益されている実態が明瞭となった。発掘資料から推察すると、集落の存続期間は縄文時代前期の末から中期末まで1500年間にも及ぶ、まれにみる長期間にわたることが判明、加えて発見された土器などの量はリンゴ用段ボール箱で約4万箱、既調査地面積は5ヘクタール、全掘すれば約25万箱と予測される膨大な量。しかも、質高く・多種多様・話題にこと欠かぬ豊富さ。遺跡規模・遺跡存続期間・遺跡包蔵物量ともに他の諸遺跡を圧倒・凌駕する大遺跡であると評価されるに至った。三内丸山遺跡のもつ個々の情報-計画的な集落設計、道路と墓列、大規模な造成、埋葬と墓地、祭祀や供養、栗栽培、巨大木柱、朱漆やアスファルトなどが刻々と報道され、「縄文都市」という冠辞が三内丸山遺跡に与えられるに至った。現在、本遺跡をめぐっては考古学、文化人類学をはじめ諸学の援助をうけ生態系、環境系、食料栽培など広汎(こうはん)な分析が進捗しており、まさに「縄文学最前線」の観がある。三内丸山遺跡を熟視することで「都市」の概念を与えることの可否・長期間の連続性・膨大とされる遺物量の解釈がいっそう深められ、はじめて本遺跡の価値は定着するであろう。1997年国の史跡に、2000年特別史跡に指定。[水野正好]

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