三国 一朗(読み)ミクニ イチロウ*

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「三国 一朗」の解説

三国 一朗
ミクニ イチロウ*


職業
放送タレント,エッセイスト

生年月日
大正10年 1月12日

出生地
愛知県 名古屋市

学歴
愛知一中(旧制)〔昭和13年〕卒 八高文科甲類〔昭和16年〕卒,東京帝国大学文学部社会学科〔昭和18年〕卒

経歴
生家は名古屋で写真館で、一番上の長男。父方叔父ムーランルージュで活躍した俳優三国周三。愛知県第一中学、八高から清水幾太郎の著作を読んで社会学に興味を持ち、東京帝国大学文学部社会学科に進学。昭和18年繰り上げ卒業し、19年入営。20年陸軍東部第六二部隊に配属され、神奈川県溝ノ口で敗戦を迎えた。いわゆる“ポツダム少尉”として復員。この間、卒業直前から入営まで出版社・青木書店で働いた。戦後、演劇雑誌「劇場」の編集を経て、劇作家の久板栄二郎に師事。25年には戯曲厨房」が青猫座により上演された。飯沢匡の紹介により朝日麦酒に入社。同社のPR誌「ほろにが通信」の3代目編集長の傍ら、27年ラジオ東京の深夜放送「イングリッシュ・アワー」のディスクジョッキーを務め、ディスクジョッキーの草分けの一人となった。28年には社命により同社提供のテレビ番組「何でもやりまショー」の司会となり、テレビに初出演。34年退社、放送タレント専業となった。39〜49年東京12チャンネル(テレビ東京)で、当事者へのインタビューを通じて知られざる昭和史の一場面に光を当てる教養番組「私の昭和史」の司会を担当、自身のキャリアを代表する仕事となり、番組終了後は同趣旨の仕事を発展させた編著書「昭和史探訪」(全6巻)の編者兼インタビュアーを務めた。教養番組の案内役、ナレーターとしては、他にNHK特集「戒厳指令…『交信ヲ傍受セヨ』二・二六事件秘録」などが代表作となる。俳優としては、映画「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」、テレビ「元禄太平記」「新・坊っちゃん」「黄金日日」などに出演。司会を中心にナレーター、俳優、ディスクジョッキーなど放送タレントとして幅広く活躍する一方、文筆もよくし、55年エッセイ集「肩書きのない名刺」で日本エッセイスト・クラブ賞を、評伝徳川夢声の世界」で芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。新聞スクラップに関する著書「鋏と糊」や、太平洋戦争中の用語を解説した「戦中用語集」も評価が高い。他の著書に「私は司会者」「三国一朗の人物誌」「女たちの遠景」「話術」などがある。

所属団体
日本文芸家協会,日本エッセイスト・クラブ

受賞
日本エッセイスト・クラブ賞(第28回)〔昭和55年〕「肩書きのない名刺」,芸術選奨文部大臣新人賞(昭54年度)〔昭和55年〕「徳川夢声の世界」

没年月日
平成12年 9月15日 (2000年)

親族
叔父=三国 周三(俳優)

伝記
三國一朗の世界―あるマルチ放送タレントの昭和史 濱田 研吾 著(発行元 清流出版 ’08発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「三国 一朗」の解説

三国 一朗
ミクニ イチロウ

昭和・平成期のタレント,エッセイスト



生年
大正10(1921)年1月12日

没年
平成12(2000)年9月15日

出生地
愛知県名古屋市

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部社会学科〔昭和18年9月〕卒

主な受賞名〔年〕
芸術選奨文部大臣新人賞(評論等)〔昭和54年〕「徳川夢声の世界」,日本エッセイスト・クラブ賞〔昭和55年〕「肩書きのない名刺」

経歴
昭和18年東大社会学科を繰り上げ卒業で戦地へ。敗戦後いわゆる“ポツダム少尉”として復員し、朝日麦酒に入社。営業部社員のかたわら放送界に入り、日本テレビ「何でもやりまショー」の司会で出演。31年退社、放送タレント専業となる。39〜49年東京12チャンル(現・テレビ東京)「私の昭和史」の司会を担当、高い評価を得る。のち司会役を中心にDJ、俳優、エッセイストとして幅広く活躍した。編著書に「昭和史探訪」(6巻)「話術」「戦中用語集」など。「徳川夢声の世界」で芸術選奨文部大臣新人賞(評論等)、「肩書きのない名刺」で日本エッセイストクラブ賞を受賞。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「三国 一朗」の解説

三国 一朗 (みくに いちろう)

生年月日:1921年1月12日
昭和時代;平成時代の司会者
2000年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報