デジタル大辞泉
「三度飛脚」の意味・読み・例文・類語
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さんど‐びきゃく【三度飛脚】
- 〘 名詞 〙 ( 「さんどひきゃく」とも ) 江戸時代、江戸・大坂間を毎月三度定期的に往復した飛脚。元和元年(一六一五)大坂城定番の諸士がその家来を飛脚とし、東海道各宿の問屋場役人と協議のうえ人馬の提供をうけて、毎月三度、日数八日を限って往復したのに始まる。町飛脚。三度。
- [初出の実例]「人の汲間を釣瓶待也〈丈草〉 有明に三度飛脚の行哉らん〈乙州〉」(出典:俳諧・嵯峨日記(1691))
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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三度飛脚
さんどびきゃく
江戸時代の町飛脚の一称。元和1 (1615) 年大坂城定番が江戸の家族に通信するために毎月3度8の日に士卒を飛脚にして走らせたことからこの名がある。その後,寛文3 (63) 年幕府の公許を得た町飛脚が生れ,江戸,京都,大坂間を毎月3度往復するようになった (翌年より毎月2の日に変更された) 。当時,この飛脚の数は,江戸7名,京都3名,大坂4名で,東海道を6日で走ったことから「定六 (じょうろく) 」とも呼ばれた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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三度飛脚
さんどひきゃく
近世の大坂・京都・駿府と江戸を結ぶ飛脚。はじめ大坂城・二条城に詰める城番衆と江戸との書状輸送は,宿人馬を利用して番士の家僕が行ったが,1664年(寛文4)には町飛脚が請け負い,宿駅人馬を利用して,月3度の飛脚を出すことになった。以後,三度飛脚は町飛脚をさす。江戸の三度飛脚は1782年(天明2)に仲間が許され,定飛脚と称するようになったが,大坂では三度飛脚の名称を通した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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三度飛脚
さんどびきゃく
江戸時代,毎月3度江戸と上方の間を往復した町飛脚
東海道を6日で走ったので「定六 (じようろく) 」ともいう。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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三度飛脚
さんどびきゃく
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 初演
- 享保1.秋(大坂・大三郎八重桐座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の三度飛脚の言及
【飛脚】より
… 一般には三都およびその周辺各地を連絡する飛脚屋があり,百姓町人のみでなく一部は藩などの飛脚業務も請け負った。三都間では江戸の定(じよう)飛脚,京の順番飛脚,大坂の三度飛脚が有名である。江戸の成立事情を反映して江戸と京,大坂との連絡に従事した。…
【郵便】より
…諸国の大名が江戸と領地間に[飛脚]便を開設する事例もあり,私用のための町飛脚も発達してきた。町飛脚は幕府から定飛脚の免許を受け,東海道を6日かかって運行したことから定六(じようろく)と呼ばれ,毎月3度往復したことから三度飛脚とも呼ばれた。 明治維新は生活をとりまくすべての文化を革新し,近代的な統一国家を形成しようとするものであった。…
※「三度飛脚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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