三教とは中国では儒教・仏教・道教,日本では儒教・仏教・神道をいう。これら三教が絶対的に矛盾対立せず,併存可能であることの主張。儒教の修己・治人論,仏教の安心立命論,道教の不老長生,神道の現世利益論などが三教の著しい特徴である。中国の正統・異端論争の徴表は修己・治人論である。この大目的の成就をめぐって三教が共同戦線を構築せんとしたのが一致論であるが,その第1型は,修己・治人論を最も調和的に主張した儒教を中心的位置におき,道・仏の2教を左右に配して儒教の不備欠陥を補強させようとする。よく〈屋舎三問〉にたとえられる。第2型は,三教のいずれにも中心的位置を与えず,三教を併存させ,相互に役割分担させて欠陥不備を補強する型で,三教全体のゆるやかな連合体をもって完結する。第3型は,三教の枠を越えて,人格的実践主体(心)が三教の提供する信仰遺産を活用して人格主義的実践論を構築して,そのはてに三教を相対化したうえで〈一致〉を説くもので,特に陽明学の良知心学以降に盛んに主張された。日本においては中国の三型を踏襲するが,中国ほどには哲学的深まりをみせていない。
三教一致論は,儒教・仏教・道教の三教が出そろったときに主張されはじめたが,その根本的要因は,中国,日本ともに,三教のそれぞれが,唯一絶対の神を標榜して他教を厳しく排斥する信仰体系ではなかったことである。また三教一致論を生む社会的基盤としては神々のデパートといわれる道教,外来の神々をのみつくす神道を醸成する混合信仰(シンクレティズム)を基調とする信仰習俗がある。政治的背景としては特に中国においては宗教が政治に背反してまでも独立した価値を主張する力が弱い。政治的動機から三教一致論を主張して三教を相対化し個々の熱量を相殺して治国安民のために利用した。キリスト教が流入してはじめて,この三教一致論は根底から誤謬であると非難された。
執筆者:吉田 公平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…一国の文化ないし思想は,その文化の担当者がいかなる身分職業に属していたかによって決定的な刻印を受ける場合が多い。インドの思想に宗教色が強いのは,文化の担当者がバラモンという祭司階級であったためであるといわれる。これに対して中国思想に政治色が濃いのは,その担当者が士大夫とよばれる政治家・官吏であったという事実によることが多い。
[古代]
中国思想の根底にはつねに天の観念があるが,その天の崇拝の起源については,従来は農耕生活との関連から説明されるのが普通であった。…
※「三教一致論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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