精選版 日本国語大辞典 「三浦義村」の意味・読み・例文・類語
みうら‐よしむら【三浦義村】
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鎌倉前期の武士。義澄の子。幼名平六。相模国の大族三浦氏の嫡流を継ぎ,すぐれた政治的判断力をもって数々の危機を回避し,三浦氏嫡流家の保全を実現した。1213年(建保1)同じ三浦一族の和田義盛が北条氏の挑発にのって軍事行動を起こした際,加勢を約束しておきながらどたん場で寝返ったため,義盛敗死後〈三浦の犬は友を食う〉と非難されたことは有名。承久の乱では弟胤義から京方に誘われ,伊賀氏の陰謀事件に際しても伊賀光宗の誘引をうけるなど,反北条氏勢力の動向に微妙に反応しながらも,最終的には北条氏に荷担して反北条氏勢力を制圧し,相対的に三浦氏嫡流家の政治的地位を向上させた。25年(嘉禄1)北条泰時によって創設された評定衆にも名を連ね,幕府政治に強い影響力を行使した。
執筆者:外岡 慎一郎
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(高橋秀樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
鎌倉前期の武将。義澄(よしずみ)の子。母は伊東祐親(いとうすけちか)の女(むすめ)という。駿河守(するがのかみ)。評定(ひょうじょう)衆。1199年(正治1)梶原景時(かじわらかげとき)排斥を策謀したのをはじめ、1213年(建保1)和田の乱では和田義盛(よしもり)に協力を約束しながら北条義時(よしとき)に通じて同族を葬り、将軍実朝(さねとも)暗殺事件では公暁(くぎょう)を誅(ちゅう)し、1221年(承久3)の承久(じょうきゅう)の乱では弟胤義(たねよし)による朝廷側荷担の誘いを断り、北条泰時(やすとき)軍に従って戦功をあげた。24年(元仁1)義時の後室伊賀(いが)氏らが将軍および泰時を除こうと謀った際にも、終始北条氏に忠誠を示して信任され、翌年評定衆に選ばれた。「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」の制定にも参与。三浦一族の最盛期を築いた人物である。延応(えんおう)元年12月5日没。
[三浦勝男]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…鎌倉2代将軍源頼家の子。乳母は三浦義村妻。父の没後鶴岡八幡宮寺別当尊暁の弟子となり(公暁は法名),1217年(建保5)鶴岡別当に就く。…
※「三浦義村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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