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三浦義村 みうらよしむら

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三浦義村
みうらよしむら

[生]?
[没]延応1(1239).12.5.
平安時代末期~鎌倉時代初期の武将。義澄の子。母は伊東祐親の娘。元暦1 (1184) 年父とともに平氏追討のため鎌倉を発し,平氏滅亡まで海陸に転戦。文治5 (89) 年には源頼朝の奥州藤原氏征討に従軍。

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デジタル大辞泉の解説

みうら‐よしむら【三浦義村】

[?~1239]鎌倉前期の武将。義澄の子。父とともに平氏追討に武功をあげ、鎌倉幕府内で重きをなした。和田義盛の挙兵、承久の乱には北条氏を助け、信任されて評定衆に選ばれた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

三浦義村 みうら-よしむら

?-1239 鎌倉時代の武将。
三浦義澄の子。相模(さがみ)(神奈川県)の御家人梶原景時(かじわら-かげとき)追放に活躍,幕政で北条氏につぐ地位をしめた。和田氏の乱,承久(じょうきゅう)の乱,伊賀(いが)氏の変でも北条執権方につく。嘉禄(かろく)元年(1225)評定衆となり,「御成敗式目」制定に参与した。延応元年12月5日死去。通称は平六。

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朝日日本歴史人物事典の解説

三浦義村

没年:延応1.12.5(1239.12.31)
生年:生年不詳
鎌倉前期の武士。相模国(神奈川県)出身。三浦義澄と伊東祐親の娘の子。平六を称す。建久1(1190)年の源頼朝上洛時に右兵衛尉に任じられ,のちに左衛門尉となる。頼朝の死後に起きた梶原景時排斥運動では中心的な活動をみせた。父の死後は幕府の重責を担い,最有力御家人として北条義時との協力に努めた。建保1(1213)年,従兄弟和田義盛が北条氏と対立し挙兵におよぶと,いったんは同心の起請文を書きながら北条方についたため,「三浦の犬は友をくらう」と評された。承久1(1219)年将軍実朝を暗殺した公暁が義村を頼ったが,これを義時に告げて,その命により公暁を殺した。承久の乱(1221)でも後鳥羽上皇方についた弟胤義の誘いを受けたが,それに応じず,幕府軍として上洛して胤義らを討った。義時の死後起こった後家伊賀氏の陰謀にも参加を求められたが,北条政子の説得に応じ北条泰時を支持した。反北条氏勢力に頼られ,結果として一族を裏切ったことは御家人中最大の勢力であったがゆえの宿命であろうか。駿河守,相模,河内,紀伊,土佐の守護,評定衆などを歴任。

(高橋秀樹)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

みうらよしむら【三浦義村】

?‐1239(延応1)
鎌倉前期の武士。義澄の子。幼名平六。相模国の大族三浦氏の嫡流を継ぎ,すぐれた政治的判断力をもって数々の危機を回避し,三浦氏嫡流家の保全を実現した。1213年(建保1)同じ三浦一族の和田義盛が北条氏の挑発にのって軍事行動を起こした際,加勢を約束しておきながらどたん場で寝返ったため,義盛敗死後〈三浦の犬は友を食う〉と非難されたことは有名。承久の乱では弟胤義から京方に誘われ,伊賀氏の陰謀事件に際しても伊賀光宗の誘引をうけるなど,反北条氏勢力の動向に微妙に反応しながらも,最終的には北条氏に荷担して反北条氏勢力を制圧し,相対的に三浦氏嫡流家の政治的地位を向上させた。

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大辞林 第三版の解説

みうらよしむら【三浦義村】

?~1239) 鎌倉初期の武将。義澄の子。開府以来の重臣。評定衆。一族の和田義盛を滅ぼし、公暁を討ち、承久の乱に北条泰時に従って忠誠を尽くした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三浦義村
みうらよしむら
(?―1239)

鎌倉前期の武将。義澄(よしずみ)の子。母は伊東祐親(いとうすけちか)の女(むすめ)という。駿河守(するがのかみ)。評定(ひょうじょう)衆。1199年(正治1)梶原景時(かじわらかげとき)排斥を策謀したのをはじめ、1213年(建保1)和田の乱では和田義盛(よしもり)に協力を約束しながら北条義時(よしとき)に通じて同族を葬り、将軍実朝(さねとも)暗殺事件では公暁(くぎょう)を誅(ちゅう)し、1221年(承久3)の承久(じょうきゅう)の乱では弟胤義(たねよし)による朝廷側荷担の誘いを断り、北条泰時(やすとき)軍に従って戦功をあげた。24年(元仁1)義時の後室伊賀(いが)氏らが将軍および泰時を除こうと謀った際にも、終始北条氏に忠誠を示して信任され、翌年評定衆に選ばれた。「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」の制定にも参与。三浦一族の最盛期を築いた人物である。延応(えんおう)元年12月5日没。[三浦勝男]

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世界大百科事典内の三浦義村の言及

【公暁】より

…鎌倉2代将軍源頼家の子。乳母は三浦義村妻。父の没後鶴岡八幡宮寺別当尊暁の弟子となり(公暁は法名),1217年(建保5)鶴岡別当に就く。…

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