三笠宮崇仁(読み)ミカサノミヤタカヒト

デジタル大辞泉 「三笠宮崇仁」の意味・読み・例文・類語

みかさのみや‐たかひと【三笠宮崇仁】

[1915~2016]大正天皇の第4皇子。幼名澄宮すみのみや。昭和10年(1935)三笠宮家を創設第二次大戦中は陸軍参謀などを務めた。戦後は古代オリエント史を研究紀元節復活の動きには、神武紀元の史実性への疑義から反対論をとなえた。著書に「帝王と墓と民衆」「古代オリエント史と私」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三笠宮崇仁」の意味・わかりやすい解説

三笠宮崇仁
みかさのみやたかひと
(1915―2016)

皇族。大正天皇の第4男子。大正4年12月2日生まれ。幼称は澄宮(すみのみや)。幼年時代はその詩作で「童謡宮様」とよばれた。1935年(昭和10)三笠宮家を創立。陸軍士官学校48期。陸軍大学校卒業。第二次世界大戦中は支那(しな)派遣軍参謀などの軍職にあった。この間、1941年に子爵高木正得次女百合子(ゆりこ)と結婚。戦後、東京大学史学科の聴講生となり古代オリエント史の研究を始める。歴史学者としての立場から紀元節復活反対の意志表明を行ったり、歴史学研究会会員として活動するなど、自由で進歩的な態度が注目された。日本オリエント学会名誉会長、日本レクリエーション協会総裁、中近東文化センター総裁などを務めた。著書に『帝王と墓と民衆』(1956)、『古代オリエント史と私』(1984)、訳書にJ・フィネガン『考古学から見た古代オリエント史』(1983)などがある。長男は寛仁(ともひと)(1946―2012)、次男は桂宮宜仁(かつらのみやよしひと)(1948―2014)、三男は高円宮憲仁(たかまどのみやのりひと)(1954―2002)。

[小田部雄次]

『三笠宮崇仁著『古代オリエント史と私』(1984・学生社)』

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百科事典マイペディア 「三笠宮崇仁」の意味・わかりやすい解説

三笠宮崇仁【みかさのみやたかひと】

大正天皇の第4子。幼称澄宮。1935年宮家創立。戦後東大でヘブライ史を専攻。日本オリエント学会名誉会長。
→関連項目三笠宮寛仁

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367日誕生日大事典 「三笠宮崇仁」の解説

三笠宮 崇仁 (みかさのみや たかひと)

生年月日:1915年12月2日
昭和時代;平成時代の皇族

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