改訂新版 世界大百科事典 「三菱地所」の意味・わかりやすい解説
三菱地所[株] (みつびしじしょ)
東京丸の内地区を基盤とする賃貸ビルの最大手企業。近年は住宅・地域開発,建築設計分野の事業も積極的に展開している。
1937年,三菱合資会社(同社は同年(株)三菱社に,のち(株)三菱本社になる)地所課が独立して設立された。その事業の沿革は,1890年,当時の三菱社が政府から丸の内の土地および神田三崎町の土地合計約35万3000m2を購入したことに始まる。三菱社はこの土地にイギリス人建築家J.コンドルの設計による赤煉瓦造のビルをつぎつぎに完成させ,〈一丁ロンドン〉と呼ばれるモダンなオフィス街をつくりあげた。そして1923年には丸の内ビルヂング(通称,丸ビル)を完成している。37年三菱地所(株)が三菱合資会社から分離独立したとき,そのうちの土地約1万m2,建物約6万m2が現物出資されて三菱地所の所有となった。
第2次大戦後,三菱本社の解散に伴い,三菱地所(株)も50年1月,陽和不動産(株)および開東不動産(株)が第2会社として設立された。しかし同年7月,地代家賃統制令が事務所について適用除外になるとともに,当社は鉄骨鉄筋コンクリート造の近代的ビルの建築を積極的に推し進め,新丸の内ビルヂング(1952完成)等を完成させた。53年には前記の2不動産会社を合併した。昭和40年代に入ると従来の賃貸ビル経営,建築設計監理主体の会社から,総合デベロッパーへの脱皮をめざした。68年に住宅部を設けて全国各地に一連の中高層住宅を建設するとともに,仙台市郊外の泉パークタウンなどの大規模ニュータウン開発,リゾート開発などの事業を手がけはじめた。昭和50年代後半からは横浜市の造船所跡地の総合開発計画〈みなとみらい21〉計画に参加,93年横浜ランドマークタワーを完成させた。99年から丸の内地区再開発も進め,2002年には丸ビルの建替えが完了した。資本金865億円(2005年9月),売上高7754億円(2005年3月期)。
執筆者:中山 裕登
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報