上小坂村(読み)かみこさかむら

日本歴史地名大系 「上小坂村」の解説

上小坂村
かみこさかむら

[現在地名]常北町小坂こさか

西田にしだ川の北側に位置し、南は下小坂村。北と西と南の三方を山に囲まれ、川沿いは水田をなし、人家も川沿いのわずかな平地に散在する。大中臣氏略系図(京都府福知山市瘤木桐村家蔵)に、南北朝時代の大中臣姓那珂氏の一族として「泰徳」なる人物がみえ「三郎太郎、養子、那珂小坂村并山城国阿智庄大河原地頭」と注記される。もと小坂村一村であったが、慶長七年(一六〇二)検地の際に上小坂・下小坂の二村に分割され、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「上小坂村」とみえる。


上小坂村
かみこさかむら

[現在地名]東大阪市上小阪かみこさか一―四丁目・新上小阪しんかみこさか東上小阪ひがしかみこさか菱屋西ひしやにし一丁目・小阪本こさかほん町二丁目・宝持ほうじ二―三丁目・西上小阪にしかみこさか小若江こわかえ三―四丁目・南上小阪みなみかみこさかなど

若江郡に属し、北は宝持村。大和川付替えまでは西を長瀬ながせ川、東を楠根くすね川が流れ、長瀬川の自然堤防上や氾濫原にあった。平坦で、条里制の坪名を表す一ノ坪の小字名が残る。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高八一三石余、幕府領


上小坂村
かみおさかむら

[現在地名]下仁田町上小坂

妙義山の南麓に位置し、西部を小坂川が南流、東は菅原すがはら(現妙義町)、南は中小坂村、西は漆萱うるしがや村と接する。近世はおおむね小幡藩領。寛文郷帳では田方一一石八斗余・畑方二〇三石七斗余。文政前後の領内村々書上帳(松浦文書)によると、本新合せて田一町六反余・畑三七町七反余、年貢は米九石余・永八四貫文余、小物成として真綿九把・大豆三石余などを納め、猟師鉄砲九挺を所持した。天保元年(一八三〇)村内栃窪とちくぼ(栃ノ木)などで砥山が発見され、開発が行われた。計画では砥役所・砥石蔵が広河原ひろがわらに置かれ、中小坂村分と合せて年五千駄を掘出し関東一円への出荷を予定した(「砥山明細差出」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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