日本歴史地名大系 「上根村」の解説 上根村かみねむら 広島県:高田郡八千代町上根村[現在地名]八千代町上根下根(しもね)村の南西に位置し、西から南にかけては向山(むこうやま)村。東は志路(しじ)村(現広島市安佐北区)に接する。「芸藩通志」は「広五町、袤八町、東北の間平田、その余皆山なり沼川一筋下根村に出る、村中地高けれど多くは渟田なり、中にも横田・新田・国王などいへる所は、泥濘尤深く、其底測かたし、土人耕作に苦む、俗伝に此辺昔は大沢にて大蛇の所栖なりしといふ」と記す。村内西南部にある上根峠(かみねだお)は雲石路の要衝。中世は付近の下根・向山の両村を合わせて禰村(ねのむら)と称したが、元和五年(一六一九)の安芸国知行帳では高四九一・五五五石を記す。 上根村かみねむら 栃木県:芳賀郡市貝町上根村[現在地名]市貝町上根市塙(いちはな)村の西に位置し、南は田多羅(たたら)村、北は稲毛田(いなげた)村(現芳賀町)、西は祖母井(うばがい)村(現同上)。南北に長い村域で、東部を大(おお)川が流れ、もとは上根・下根に分れていたという。古くは下稲毛田(しもいなげた)ともいい、大永二年(一五二二)八月一八日の宇都宮忠綱寄進状写(寺社古状)に「下稲毛田之郷」とあり、忠綱は成高(じようこう)寺(現宇都宮市)に上高根沢(かみたかねざわ)郷(現塩谷郡高根沢町)の番料足の替地として、当地の番料足一一貫文を寄進している。慶安郷帳に下稲毛田村とあり、田一九四石余・畑一三〇石余で旗本芦野領。 上根村かみねむら 埼玉県:大里郡妻沼町上根村[現在地名]妻沼町上根利根川右岸の氾濫原に位置し、曲流する福(ふく)川が西・北・東の三方を囲む。西から北にかけては弥藤五(やとうご)村、南は田島(たじま)村・西野(にしの)村。田園簿によると田方三一四石余・畑方二九五石余、旗本細井領。国立史料館本元禄郷帳も同領で、以後変化なく幕末に至る(改革組合取調書など)。 上根村うえねむら 京都府:舞鶴市池之内地区上根村[現在地名]舞鶴市字上根池内(いけうち)川上流の寺田(てらだ)川右岸、山を背にして南面する山麓に位置し、耕地も相当ある純農村である。慶長検地郷村帳に高八五・九石「上根村」とみえ、土目録では八五石余、内訳は田方六八石余、畑方一七石余、運上のなかに奉書運上銀三三匁・端折紙一五束が記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by