上田保
こうだほ
三原川支流の上田川流域、現神代社家の八幡神社(上田八幡)を中心とする一帯に比定される。承久三年(一二二一)七月二〇日の関東下知状(皆川文書)に上田保とみえ、承久の乱後長沼宗政が淡路新守護に任命されるとともに当保の地頭に任命されている。貞応二年(一二二三)の淡路国大田文によれば、国領の当保は田五六町二反(除田二〇町九反三二〇歩、残田三五町二反四〇歩で、このうちに在庁別名を加える)・畠四一町八反三〇歩(除畠七町六反三五〇歩・残畠三四町一反四〇歩)、榎列村および円鏡寺・法輪寺・八幡宮・同神宮寺・野辺宮・惣社宮各一所が含まれていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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上田 保
ウエダ タモツ
- 肩書
- 元・大分市長
- 生年月日
- 明治27年
- 出生地
- 大分県大分市
- 学歴
- 法政大学卒
- 経歴
- 書生を経て、東京で弁護士を開業。戦時中大分に引き揚げ、昭和22年大分市長に当選。4期16年務め、38年退任。その後、全国で初めての回遊式水族館マリンパレスを建設、社長を務めた。市長時代はアイデア市長、ワンマン市長といわれ、卓抜した着想力と無類の実行力を発揮した。27年末から、高崎山で野生のニホンザルの餌付けを始め、火野葦平の小説「ただいま零匹」のモデルになる。著書に素人にもわかりやくす解説した「趣味の法律」がある。
- 受賞
- 大分市名誉市民
- 没年月日
- 昭和55年6月6日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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上田 保
ウエダ タモツ
昭和期の政治家 元・大分市長。
- 生年
- 明治27(1894)年
- 没年
- 昭和55(1980)年6月6日
- 出生地
- 大分県大分市
- 学歴〔年〕
- 法政大学卒
- 主な受賞名〔年〕
- 大分市名誉市民
- 経歴
- 書生を経て、東京で弁護士を開業。戦時中大分に引き揚げ、昭和22年大分市長に当選。4期16年務め、38年退任。その後、全国で初めての回遊式水族館マリンパレスを建設、社長を務めた。市長時代はアイデア市長、ワンマン市長といわれ、卓抜した着想力と無類の実行力を発揮した。27年末から、高崎山で野生のニホンザルの餌付けを始め、火野葦平の小説「ただいま零匹」のモデルになる。著書に素人にもわかりやくす解説した「趣味の法律」がある。
上田 保
ウエダ タモツ
昭和期の評論家,翻訳家 元・慶大経済学部教授。
- 生年
- 明治39(1906)年1月19日
- 没年
- 昭和48(1973)年4月11日
- 出生地
- 山口県
- 学歴〔年〕
- 慶大英文科〔昭和4年〕卒業
- 経歴
- 早くから英文学者として活躍し、のちに慶大教授となる。特にエリオットの翻訳者として著名で「エリオット詩集」をはじめ、多くの訳書がある。著書にも「概説世界文学」(昭25)をはじめ、「現代ヨーロッパ文学の系譜」「ヨーロッパ文学入門」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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上田保 うえだ-たもつ
1894-1980 昭和時代後期の政治家。
明治27年8月25日生まれ。東京で弁護士として活動後,昭和22年から16年間大分市長をつとめた。野猿の餌づけによる高崎山自然動物園,大分生態水族館マリーンパレスなどを開設し,アイディア市長といわれた。昭和55年6月6日死去。85歳。大分県出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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