上田流(読み)ウエダリュウ

デジタル大辞泉 「上田流」の意味・読み・例文・類語

うえだ‐りゅう〔うへだリウ〕【上田流】

尺八流派の一。大正6年(1917)、上田芳憧ほうどう都山とざんから分かれて創始

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精選版 日本国語大辞典 「上田流」の意味・読み・例文・類語

うえだ‐りゅううへだリウ【上田流】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 書道の一流派。岡本流の祖、岡本保孝門人で、信州上田出身の熊本藩祐筆上田素鏡を祖とする。
    1. [初出の実例]「真田軍記を写してる上田流」(出典:雑俳・柳多留‐一〇三(1828))
  3. 馬術の一流派。大坪流細川左衛門佐康政の門人、上田但馬守重秀を祖とする。〔本朝武芸小伝(1716)〕
  4. 尺八の一流派。都山流の祖、中尾都山に学んだ上田芳憧が、大正六年(一九一七)に独立しておこした。関西地方に行なわれる。
  5. 槍術の一流派。宝蔵院流の流れをくむもので、武州新発田藩の藩士上田台右衛門英生を祖とする。
  6. 茶道流派の一つ。利休と織部に学んだ上田宗箇が開く。広島の浅野家に伝わる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「上田流」の意味・わかりやすい解説

上田流(馬術)
うえだりゅう

近世馬術の一流派。流祖は上田但馬守重秀(たじまのかみしげひで)。重秀は、大坪流馬術を斎藤安芸守(あきのかみ)(1494―1572)の高弟、細川左衛門佐(さえもんのすけ)康政に学び、伊勢安濃津(いせあのつ)の城主富田左近将監一白(さこんしょうげんいっぱく)、および同信濃守(しなののかみ)信高(?―1633)の父子に仕えた。関ヶ原の戦い(1600)のとき、信高が東軍に属したため、西軍の大軍に攻められて籠城(ろうじょう)中、城内に侵入した毛利秀元(もうりひでもと)の軍兵を馬上太刀を振るって追い返し、「無双の馬上の達者」(関ヶ原記)とうたわれた。のち信高の改易により浪人となり、江戸に出て旗本の加藤勘助重正(980石)らに伝授した。重正は3代将軍徳川家光(いえみつ)に馬上太刀打ちのことを言上して有名となった。重秀の子丹波(たんば)守重国、その子吉之丞(きちのじょう)重時と相次いで馬術に長じ、大いに家名を高めた。重時のとき、阿波(あわ)徳島の蜂須賀(はちすか)侯に招かれ、子安重、孫重昌以下よく家芸を伝えて幕末に及んだ。

[渡邉一郎]

『『日本馬術史 第2巻』(1940・日本乗馬協会)』


上田流(尺八)
うえだりゅう

尺八の流派名。都山(とざん)流より分かれ、1917年(大正6)に開流。流祖は上田芳憧(ほうどう)。芳憧(1892―1974)は大阪の商家の長男。本名喜一。14歳で中尾都山に弟子入りし、4年後に奥伝免許と佳山の号を受け、翌年准師範が許されて尺八指南の看板を掲げた。1912年(明治45)には都山流の最高職格にまで進んだが、自作の新曲を公認なしに公演したことから、流内の批判と師の不信を招き、ついに破門、独立。記譜法、奏法、流の制度などは都山流を継承しつつも、レパートリーは、流祖作曲の新本曲(ほんきょく)(『五月雨(さみだれ)』『落葉』『雪の夜』など)や、流祖編曲の外曲(がいきょく)や、古典本曲など独自のもの。近畿以西に地盤をもつ。現家元は芳憧の長男上田佳道(かどう)。

[月溪恒子]

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世界大百科事典(旧版)内の上田流の言及

【尺八】より

…都山流は創始者自身の活発な活動とさまざまな新工夫によって短年月のうちに広まり,大正年間以後は琴古流と並んで尺八楽の二大流派となっている。この都山流から1917年に上田流(流祖は初世上田芳憧)が大阪で分派独立し,また,同じ年にやはり大阪で,宗悦流の別系統から竹保(ちくほ)流(流祖は初代酒井竹保)が生まれた。 以上,琴古,都山,上田,竹保の4流が近代尺八楽として一般化している流派であるが,そのうち琴古流は古曲本曲と外曲を曲目とし,他の3流は外曲と各流独自の新しい本曲(一部の古典本曲も含む)を曲目としている。…

※「上田流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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