吉野川北岸の
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兵庫県南西部、赤穂(あこう)郡にある町。1913年(大正2)町制施行。1955年(昭和30)高田、鞍居(くらい)、船坂の3村および赤松村の一部と合併。JR山陽本線と国道2号が東西に走り、国道373号が分岐する。1994年(平成6)に智頭急行(ちずきゅうこう)智頭線が開通した。アユで知られた千種川(ちくさがわ)が貫流して南に開け、平坦(へいたん)地が広がる。農業は従来の水稲中心から野菜、花卉(かき)、ブドウなど近郊的農業に移行しつつある。播磨(はりま)工業地域の後背地として中小企業が進出し、1992年には山野里工業団地が完成、住宅団地も開発されている。また、播磨科学公園都市の建設が進められ、町北部の佐用(さよう)町との境界に大型放射光施設SPring-8(スプリングエイト)がつくられている。南北朝時代の雄赤松則村(のりむら)(円心)の根拠地白旗城跡(国指定史跡)や、赤松氏ゆかりの法雲寺、宝林寺、ボタンで知られた万勝院がある。面積150.26平方キロメートル、人口1万3879(2020)。
[大槻 守]
『『上郡町のすがた』(1973・上郡町)』▽『『上郡町史』全4巻(1999~2011・上郡町)』
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…評も郡もともに〈こおり〉と読まれたらしいが,郡は評を継承しつつ701年(大宝1)の大宝令の制定とともに始まり,〈改新之詔〉はそれにもとづいて作文されたものと考えられている。令の規定では,50戸よりなる1里(のち郷と改称)で20里以下16里以上を大郡,12里以上を上郡,8里以上を中郡,4里以上を下郡,2里以上を小郡とし,各郡ごとに郡家(ぐうけ)とよばれる役所を置き,郡司(大領・少領・主政・主帳の四等官)が政務をとった。713年(和銅6)5月,《風土記》の撰進が命ぜられたのと同時に郡郷の名には好字が使われるようになった。…
※「上郡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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