日本歴史地名大系 「上野山村」の解説
上野山村
うえのやまむら
上野山村
うえのやまむら
近世初めは幕府領、のち成瀬氏領となり、寛永一五年(一六三八)幕府領、慶安四年(一六五一)石川阿波守領となり明治維新に至る。天保一五年(一八四四)
上野山村
かみのやまむら
元和五年(一六一九)の備後国知行帳では「上山村」として高六四三石七斗一升五合を記す。寛政三年(一七九一)の世羅郡上野山村指出帖(尼子家文書)によると村高六四五石余のうち高が六四石余あり、毛付高は五八〇石余、そのうち田が五三七石余(畝六六町余)・畠三一石余(畝八町余)。
上野山村
うえのやまむら
上野山村
うえのやまむら
上野山村
うえのやまむら
上野山村
うえのやまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報