井原西鶴(さいかく)の浮世草子。1692年(元禄5)1月、大坂・伊丹屋(いたみや)太郎右衛門、京都・上村平左衛門、江戸・万屋(よろずや)清兵衛を版元として刊行。五巻五冊。「大晦日(おおつごもり)は一日千金」と傍題するように、1年の収支決算日である大晦日の24時間に小説の場面を限定し、そこに展開する町人大衆の悲喜こもごもの生活の断面を鋭く描いた西鶴晩年の傑作である。「大晦日定めなき世のさだめ哉(かな)」(『誹諧三(はいかいさん)ヶ津(つ)』1682刊・所収)は西鶴得意の発句であるが、居留守、出違い、けんか仕掛け、亭主の入れ替わりなどの方法で借金取りの撃退を謀れば、掛け取りのほうも新手を考案する虚々実々のやりとりを通して、金銭をめぐる人間の真実がリアルに描かれている。巻五「つまりての夜市(よいち)」では、非情な物品を登場させて、その裏に隠されているおかしくもあわれな生活の実態が、巧みな話芸的方法によって暗示的に描写されている。名作として評価の高い巻五「平太郎殿(へいたろうどの)」は、まさに貧困と絶望の淵(ふち)に転落しようとする3人の懺悔咄(さんげばな)しを通して、「哀れにも又おかし」い人生の真実が描き出されている。全編「泪(なみだ)で年を取」らなければならないほど窮迫し、絶望的な現実に直面した町人たちの物語であるが、感傷や興奮をみせずに描き上げられ、そこに人間的な暖かさがにじみ出ており、ほのぼのとした味わいが生まれている。晩年の作家西鶴が人間観照の深化によって創出した独自の小説的世界を認めることができ、西鶴文学の到達点として高く評価されるゆえんである。
[浅野 晃]
『野間光辰校注『日本古典文学大系48 西鶴集 下』(1960・岩波書店)』▽『前田金五郎訳注『世間胸算用』(角川文庫)』
西鶴作の浮世草子。1692年(元禄5)刊。5巻20章。西鶴晩年(51歳)の傑作として有名な町人物で,副題に〈大晦日は一日千金〉とある。〈大晦日さだめなき世の定めかな〉と西鶴自身の句にもあるように,1年間の収支決算を迫られる大晦日は世の定めとしてきまってやってくるわけで,この日をどう切りぬけるかは町人にとって死活の問題であった。収められた20の短編は,直接もしくは間接に,この大晦日に時間設定をし,地域は大坂を中心に京,江戸,堺,長崎,奈良におよび,階層は問屋,金貸から,日ごろ掛けで買うことすらできないために借金取りもやってこない裏長屋の貧家まで,あらゆる階層にわたっている。作者の筆致はするどく,庶民の深刻な経済生活が,大晦日のやりくり算段を通して,まざまざと描きだされている。しかし虚無的な暗さはない。たんなる写実ではなく,滑稽で解放的な想像力に媒介された描写になっているからである。深刻な話を笑いがつつみ込む。その結果,どんなことをしても生きぬいていく庶民の生活力が読後感として残る。〈一夜明れば豊かなる春とぞ成ける〉と西鶴もその冒頭の話の結びで書いている。話術のたくみな文章化,俳諧の付合(つけあい)を生かしたスピーディな空間構成,質種のような道具の列挙だけによる描写法など,西鶴がこれまで試みてきた方法の一つの到達点をこの作品にみることもできる。
執筆者:廣末 保
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浮世草子。5巻。井原西鶴作。1692年(元禄5)刊。20話の短編すべて,1年の収支決算日である大晦日の出来事という設定で描かれている。大晦日を必死でのりきらねばならない町人の経済生活の諸相が,絶妙な会話や俗語をいかした簡明な文体でいきいきと描写される。「日本永代蔵」に比べて立身出世にむけての教訓性がうすれ,中・下層の町人たちの悲喜劇を突きはなした筆致で描いている。借金取りの撃退法を描く「門柱も皆かりの世」,長屋住まいの極貧層を活写した「長刀はむかしの鞘」など,高い評価を得た短編が多い。西鶴晩年の人間観・経済観がよく現れた傑作といえる。「日本古典文学大系」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…店じまいをした家の意の〈仕舞(しも)うた屋〉から変わった言葉で,商売をしていない家をいう。井原西鶴の《世間胸算用(せけんむなざんよう)》(1692)に〈表面(おもてむき)は格子作りに,しまふた屋と見せて〉とあるが,商店などの立ち並ぶ商業地域内の住宅をさすことが多く,住宅地内の住宅を〈しもたや〉と呼ぶのはおかしい。なお,《嬉遊笑覧》には〈そのかみ古道具やを仕舞物(しまいもの)店といへるも身分をかへなどしたる者の家財をかひ取て売ものなり〉とあり,店じまいにともなう不用品の意味で,古道具類を〈仕舞物〉と呼ぶこともあった。…
※「世間胸算用」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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