中国残留孤児問題(読み)ちゅうごくざんりゅうこじもんだい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中国残留孤児問題」の意味・わかりやすい解説

中国残留孤児問題
ちゅうごくざんりゅうこじもんだい

日中戦争終結後、中国に残留させられた日本人「孤児」をめぐる問題。

 中国残留日本人孤児とは、1945年(昭和20)8月9日ソ連の対日参戦以降の混乱で、肉親と別れ中国に残された日本人児童のこと。厚生労働省は、「当時の年齢が概ね13歳未満で、本人が自己の身元を知らない者」として、それ以外の「中国残留婦人等」と区別する。

伊藤一彦

残留孤児発生の歴史的背景

日本は1931年9月満州事変を引き起こし、翌1932年3月傀儡(かいらい)国家「満州国」を創出して中国東北地方(満州)を実質的な植民地とした。日本の人口増加とくに農村余剰人口問題の解決、さらにソ満国境の防衛のため、1932年秋の武装移民団を皮切りに、関東軍の支援のもとに満蒙(まんもう)開拓団が北満各地に送り込まれた。1936年に日本政府が20か年100万戸移住計画を決定して以後、開拓団の移住は本格化し、終戦までに27万人に上った。

 満蒙開拓団には貧農の次三男が10町歩(約10ヘクタール)の地主になれるという宣伝にひかれて自ら参加した者もあったが、団員送出ノルマ達成に焦る地元当局により強制されて加わった者も多かった。開拓団に割り当てられた農地には、現地の中国人や朝鮮人が開墾した土地を低価格で暴力的に取り上げた例も少なくなく、開拓団は侵略の先兵として中国民衆の怨嗟(えんさ)の的となった。1945年のソ連参戦前、関東軍は満州の4分の3の放棄を決定、すでにソ満国境付近の兵力の多くが撤退していた。そのとき、ソ連側に撤退を知られないため在満の一般日本人に対しても秘密にされ、開拓団の安全はまったく考慮されなかった。ソ連軍が攻撃してきたとき、開拓団の壮年男子は根こそぎ軍に動員されており、残された老人、女性、子供は砲火に追われ、中国人の報復襲撃にさらされつつ、自力で避難した。逃避行の最中に多数の死者が出、数千人に及ぶ乳幼児が中国人に拾われたり託されたりした。中国残留日本人孤児の多くはこうして発生したが、開拓団以外にも残留孤児となった場合があったことはいうまでもない。

 第二次世界大戦後、国共内戦中華人民共和国の成立、そして冷戦の深化により、日中両国は対立関係にあり、残留孤児問題は忘れられたばかりか、岸信介内閣が1959年「未帰還者に関する特別措置法」(昭和34年法律第7号)を制定、残留孤児等の戸籍を「戦時死亡宣告」により抹消してこの問題の幕引きを図った。

[伊藤一彦]

孤児の永住帰国

中国で、孤児は日本人ゆえにいじめられ、とりわけ排外的風潮の強まった文化大革命のなかで、日本のスパイなどとして迫害された事例があった。

 1972年9月の日中国交回復まで、残留孤児問題は表面化しなかった。国交回復後、孤児とその肉親の互いの消息を求める声が出てきたが、日本政府の対応は緩慢で、1981年になって初めて孤児47人の国費による集団訪日調査が実現した。その後1999年(平成11)11月までに30回、2116人が肉親探しに来日し、672人の身元が判明した。判明率は初期には50%を超えたが、孤児の高齢化等により次第に低下、10%以下ということもあった。2000年からは、中国現地での日中共同調査により新たに孤児と認定した者の情報を日本で公開し、肉親に関する情報が得られた者についてのみ訪日対面調査を行っている。2009年11月現在、永住帰国した孤児は2536人、同行家族は6779人。2008年現在で、なお1527人の身元が判明していない。

 1993年までは日本の親族の同意がなければ、日本人と判明しても国費による永住帰国はできなかった。しかし、1994年に「中国残留邦人帰国促進・自立支援法」が定められ、訪日調査の一員となれば自動的に日本人とみなされ、本人だけでなく配偶者と未成年の子供の渡日旅費や定住支援が受けられるようになった。

 国費帰国者は、定着促進センターで4か月間(のちに6か月間)日本語や習慣を学び、約16万円の自立支度金を得て公営住宅に住み、その後1年近く生活保護を受けられる。しかし、ことばをはじめ文化の壁は厚く、就職も困難で、日本社会に溶け込むのは容易でない。帰国孤児が高齢ということもあり約7割が生活保護を受けたが、出国すると支給されなくなるため、中国の養父母のもとを訪れることができず、中国では「豊かな日本に行ったのに、育てられた恩を忘れた」と孤児に対する非難があがった。また孤児に伴われて来日した子や孫が、学校等で差別され、非行に走るという事例も生じた。

 2002年12月の東京地裁を皮切りに、永住帰国者の8割余が日本政府の責任を問う訴訟に踏み切った。2006年12月の神戸地裁で勝訴したほか、7地裁で敗訴となったが、こうした活動により、2007年11月、国民年金満額支給等を定める「改正中国残留邦人支援法」が成立、これを受けて関係訴訟はすべて取り下げられた。

[伊藤一彦]

『関亜新・張志坤著、浅野慎一ほか監訳『中国残留日本人孤児に関する調査と研究』全2巻(2008・不二出版)』『蘭信三編『中国残留日本人という経験――「満洲」と日本を問い続けて』(2009・勉誠出版)』『井出孫六著『中国残留邦人――置き去られた六十余年』(岩波新書)』

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