満州事変後、国策によって日本から旧満州などに送り出された農業移民団。窮乏した農民救済と北方警備などが目的だった。終戦までに約27万人が渡ったとされる。旧ソ連の対日参戦によって、引き揚げ中に多数の犠牲者が出た。戦争の混乱で中国残留婦人・孤児も生んだ。
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満州事変後,関東軍や拓務省,のちに内閣の政策により満州に送り出された農業移民集団。満州移民は民間農民教育者加藤完治らの働きかけに関東軍が応じた結果国策化され,1936年(昭和11)広田内閣のもと,20カ年100万戸移民計画が実施された。当初の主目的は満州の日本人人口増加による治安の維持にあったが,太平洋戦争勃発後の42年に実施された第2期5カ年計画が,「北方拠点の強化」を目的の一つとするように,対ソ軍事的色彩が強まった。第14次まで合計27万人余が入植。45年8月9日のソ連の対日参戦後,関東軍が先に撤退したため,開拓団は多大な犠牲を出しながら退避,乳幼児を中国人に託さざるを得ない場合も多く,今日の中国残留孤児問題をひきおこした。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報