満蒙開拓団(読み)まんもうかいたくだん

精選版 日本国語大辞典 「満蒙開拓団」の意味・読み・例文・類語

まんもう‐かいたくだん【満蒙開拓団】

〘名〙 満州事変以後、満蒙地区に送り出された日本人農業移民団。昭和一二年(一九三七)までの初期移民団は武装移民として軍事的要地入植し、以後は分村移民の形で農業者が大量に送り込まれた。同二〇年、ソ連参戦により、関東軍に置き去りにされて、多く犠牲者を出した。

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デジタル大辞泉 「満蒙開拓団」の意味・読み・例文・類語

まんもう‐かいたくだん【満×蒙開拓団】

満州事変後、日本が満蒙地区に送りこんだ農業移民団。昭和7年(1932)に第一次移民が送り出され、昭和20年(1945)敗戦時には約32万人がいたといわれる。多くがソ連・満州国境地帯に入植し、中国人・朝鮮人の既耕地を収奪する結果となった。第二次大戦敗戦直前、ソ連の対日参戦で関東軍から置き去りにされ、多大な犠牲者を出した。満州農業移民。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「満蒙開拓団」の解説

満蒙開拓団
まんもうかいたくだん

満州事変後,関東軍や拓務省,のちに内閣政策により満州に送り出された農業移民集団。満州移民は民間農民教育者加藤完治らの働きかけに関東軍が応じた結果国策化され,1936年(昭和11)広田内閣のもと,20カ年100万戸移民計画が実施された。当初の主目的は満州の日本人人口増加による治安の維持にあったが,太平洋戦争勃発後の42年に実施された第2期5カ年計画が,「北方拠点の強化」を目的の一つとするように,対ソ軍事的色彩が強まった。第14次まで合計27万人余が入植。45年8月9日のソ連の対日参戦後,関東軍が先に撤退したため,開拓団は多大な犠牲を出しながら退避乳幼児を中国人に託さざるを得ない場合も多く,今日の中国残留孤児問題をひきおこした。

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