朝日日本歴史人物事典 「中島三甫右衛門(初代)」の解説
中島三甫右衛門(初代)
生年:生年不詳
江戸中期の歌舞伎役者。俳名重笠,笠子。屋号中島屋。初代中島勘左衛門の門下で,初め中島勘四郎の名で江戸湯島天神の宮地芝居を勤めた。正徳3(1713)年山村座に中島三保右衛門と名乗って出勤,同6年ごろから三甫右衛門と改めた。勘左衛門,団十郎の真似といわれることもあったが,享保2,3(1717,18)年から急速に評判を取り,江戸根生の実悪として山中平九郎,初代大谷広右衛門と並び称された。元来恐ろしげな容貌であったといい,特に公家悪を得意とした。鬚鬘を創案した人物であり,また宝暦9(1759)年からは森田座の頭取を勤めた。三甫右衛門の名跡は,6代目まで続き,江戸時代の5代目まではいずれも敵役,実悪の役者であった。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1・2期,『古今役者大全』(『日本庶民文化史料集成』6巻)
(加藤敦子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報