中島三甫右衛門(初代)(読み)なかじま・みほえもん

朝日日本歴史人物事典 「中島三甫右衛門(初代)」の解説

中島三甫右衛門(初代)

没年:宝暦12.3.23(1762.4.17)
生年:生年不詳
江戸中期の歌舞伎役者俳名重笠,笠子。屋号中島屋。初代中島勘左衛門の門下で,初め中島勘四郎の名で江戸湯島天神の宮地芝居を勤めた。正徳3(1713)年山村座に中島三保右衛門と名乗って出勤,同6年ごろから三甫右衛門と改めた。勘左衛門,団十郎の真似といわれることもあったが,享保2,3(1717,18)年から急速に評判を取り,江戸根生の実悪として山中平九郎,初代大谷広右衛門と並び称された。元来恐ろしげな容貌であったといい,特に公家悪を得意とした。鬚鬘を創案した人物であり,また宝暦9(1759)年からは森田座頭取を勤めた。三甫右衛門の名跡は,6代目まで続き,江戸時代の5代目まではいずれも敵役,実悪の役者であった。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1・2期,『古今役者大全』(『日本庶民文化史料集成』6巻)

(加藤敦子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中島三甫右衛門(初代)」の解説

中島三甫右衛門(初代) なかじま-みほえもん

?-1762 江戸時代中期の歌舞伎役者。
初代中島勘左衛門の門弟。中島勘四郎,中島三保右衛門から,享保(きょうほう)2年ごろ三甫右衛門とあらためる。江戸公家悪(くげあく)の随一とされた。森田座の頭取をつとめ,鬚鬘(ひげかずら),糸鬢(いとびん)を創案。宝暦12年3月23日死去。俳名は重笠(ちょうりつ),笠子(さんし)。屋号は中島屋。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android