中村又五郎(読み)なかむらまたごろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村又五郎」の意味・わかりやすい解説

中村又五郎
なかむらまたごろう

歌舞伎(かぶき)俳優。屋号播磨(はりま)屋。

服部幸雄 2018年5月21日]

初世

(1885―1920)京都生まれ。1890年(明治23)中村正太郎の芸名で初舞台。1898年中村又五郎と改名して東京・新富(しんとみ)座の子供芝居の座頭(ざがしら)を勤め、初世中村吉右衛門(きちえもん)と並んで人気をとる。1917年(大正6)以後は浅草の公園劇場に移り、小芝居の花形俳優として活躍したが、1920年に早世した。容姿に優れ、とくに和事(わごと)に適した。

[服部幸雄 2018年5月21日]

2世

(1914―2009)本名中村幸雄。初世の長男。東京生まれ。6歳で父を失い、翌1921年(大正10)2世又五郎の名で初舞台。名子役と評判された。長じては中村吉右衛門劇団の中堅幹部として立役(たちやく)から女方(おんながた)まで幅広い役柄で活躍。1961年(昭和36)から、8世松本幸四郎(後の白鸚(はくおう))らとともに東宝移籍国立劇場の俳優養成の主任講師としても情熱的に指導にあたった。1997年(平成9)、脇役(わきやく)として重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。

[服部幸雄 2018年5月21日]

『池波正太郎著『又五郎の春秋』(中公文庫)』『中村又五郎・山田五十鈴著『芝居万華鏡』(1982・中央公論社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「中村又五郎」の意味・わかりやすい解説

中村又五郎 (なかむらまたごろう)

歌舞伎俳優。屋号播磨屋。(1)初世(1885-1920・明治18-大正9) 本名中村庄次郎。京都に生まれ,1889年中村正太郎の名で初舞台。98年中村又五郎と改名。東京の子供芝居の座頭格で,初世中村吉右衛門と人気を分かった。1906年名題昇進。その後2世市川左団次一座に加わる。1917年浅草公園劇場に移ってからは小芝居のスターだったが,若くして世を去った。容姿がすぐれ,和事がよく,新作でも評判が高かった。(2)2世(1914-2009・大正3-平成21)本名中村幸雄。初世の長男。6歳で父を失い,翌年,又五郎の名で初舞台。名子役とうたわれた。吉右衛門劇団にあって,立役,女方,敵役,老け役,すべてをこなす幅の広さを持っている。1961年からは,8世松本幸四郎(のちの白鸚)とともに東宝入りし,多くの新作で活躍する。国立劇場の俳優養成の指導にも意欲的であった。
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百科事典マイペディア 「中村又五郎」の意味・わかりやすい解説

中村又五郎【なかむらまたごろう】

歌舞伎俳優。二代目。屋号播磨屋。父の初代又五郎が早く没したため,初代中村吉右衛門に預けられ,芸の指導を受けた。脇役に徹して,時代物,世話物を問わず女形から若衆老役,婆役まで多彩な芸域を持ち,軽妙洒脱な役から重厚な役どころまで当代随一の名脇役の名をほしいままにした。後進の指導にも意欲的に取り組み続け,歌舞伎史にもくわしく,読書家として知られた。1997年重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定された。

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