明治〜昭和期の劇作家,小説家,演劇研究家
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劇作家,小説家,演劇研究家。島根県生れ。小説家としての号は春雨。東京専門学校(現,早大)在学中の1901年,小説《無花果》が《大阪毎日新聞》の懸賞に当選して認められ,06年渡米,イプセンの影響を受けて,帰国後新社会劇《牧師の家》(1910)を発表。13年芸術座創立に参加,《剃刀》(1914),《飯》(1915)等松井須磨子の当り役となった社会劇を提供し,脚本部主任として活躍した。その後《淀屋辰五郎》(1918),《井伊大老の死》(1920)等の長編歴史劇,《原始時代》(1924)等の現代劇,《星亨》(1927)等の伝記劇と大作が多く,また大正末から母校で演劇史を講じ,浄瑠璃・歌舞伎研究を集大成した《日本戯曲技巧論》(1942)がある。
執筆者:永平 和雄
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劇作家、小説家、演劇研究家。島根県生まれ。早稲田(わせだ)大学英文科卒業。少年時代から春雨(しゅんう)の号で小説を書き、大阪に出て文学仲間と同人誌『よしあし草』を創刊。上京後、広津柳浪(りゅうろう)家の食客となり、新聞の懸賞小説に『無花果(いちじく)』(1901)が当選、新進作家として認められた。早大卒業後、欧米に留学、イプセンなど近代劇作家の影響を受け、帰国後劇作家に転向し、1910年(明治43)『牧師の家』を発表。ついで芸術座に参加し、社会劇『剃刀(かみそり)』(1914)、『飯(めし)』(1915)で地位を確立、さらに史劇に向かい『井伊大老の死』(1920)、『大塩平八郎』(1921)が好評、のち伝記劇を多く書いた。大正末から母校の教壇に立ち、『日本戯曲技巧論』(1942)で文学博士となる。
[藤木宏幸]
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…【小野 正雄】 桜田門外の変を舞台化することは江戸期には法的に禁じられていたが,河竹黙阿弥の手で,曾我の世界に脚色,雪中に曾我兄弟が祐経の乗物に近づく趣向を構え《蝶千鳥須磨組討(ちようちどりすまのくみうち)》(1863年2月,江戸市村座)として上演したが中止を命じられた。明治初年には解禁となり歌舞伎化も試みられたが,史実を劇化するには1920年7月東京歌舞伎座の《井伊大老の死》(中村吉蔵作)をまたねばならなかった。この作では社会劇的な歴史劇として,幕府崩壊期に苦悩しつつ自己の政策を断行する宰相直弼が形象化された。…
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