中村吉蔵(読み)なかむらきちぞう

日本大百科全書(ニッポニカ)「中村吉蔵」の解説

中村吉蔵
なかむらきちぞう
(1877―1941)

劇作家、小説家、演劇研究家。島根県生まれ。早稲田(わせだ)大学英文科卒業。少年時代から春雨(しゅんう)の号で小説を書き、大阪に出て文学仲間と同人誌『よしあし草』を創刊。上京後、広津柳浪(りゅうろう)家の食客となり、新聞の懸賞小説に『無花果(いちじく)』(1901)が当選、新進作家として認められた。早大卒業後、欧米留学イプセンなど近代劇作家の影響を受け、帰国後劇作家に転向し、1910年(明治43)『牧師の家』を発表。ついで芸術座に参加し、社会劇『剃刀(かみそり)』(1914)、『(めし)』(1915)で地位を確立、さらに史劇に向かい『井伊大老の死』(1920)、『大塩平八郎』(1921)が好評、のち伝記劇を多く書いた。大正末から母校の教壇に立ち、『日本戯曲技巧論』(1942)で文学博士となる。

[藤木宏幸]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「中村吉蔵」の解説

中村吉蔵
なかむらきちぞう

[生]1877.5.15. 島根
[]1941.12.24. 東京
劇作家。一時,春雨と号した。東京専門学校 (早稲田大学) 英文科卒業。 1906年渡米,プリンストン,コロンビア両大学で演劇を研究,ヨーロッパを経て 09年に帰国。 13~19年芸術座に参画して,松井須磨子のために『剃刀 (かみそり) 』『飯』などの社会劇を書いた。のち『井伊大老の』など大劇場向きの歴史劇や,『牛と闘ふ男』その他,沢田正二郎のために意志の強い男性像を多く描いた。早稲田大学教授。著書『日本戯曲技巧論』 (1941) 。

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百科事典マイペディア「中村吉蔵」の解説

中村吉蔵【なかむらきちぞう】

劇作家,演劇研究家。筆名春雨。島根県生れ。早大在学中,小説《無花果(いちじく)》が《大阪毎日新聞》の懸賞に入選。卒業後欧米に留学,イプセンやB.ショーの影響を受け,1909年帰国後劇作家に転じ,《牧師の家》を発表。1913年芸術座に参加,《剃刀(かみそり)》《飯》など松井須磨子当り役となった社会劇を発表。他に史劇《井伊大老の死》《大塩平八郎》など。論文に《日本戯曲技巧論》。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「中村吉蔵」の解説

中村吉蔵 なかむら-きちぞう

1877-1941 明治-昭和時代前期の劇作家。
明治10年5月15日生まれ。欧米留学後,小説から劇作に転向。大正2年の芸術座結成に参加,「剃刀(かみそり)」などの社会劇を発表する。のち「井伊大老の死」などの歴史劇をかいた。歌舞伎浄瑠璃(じょうるり)研究でも知られ,「日本戯曲技巧論」がある。昭和16年12月24日死去。65歳。島根県出身。早大卒。号は春雨など。

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精選版 日本国語大辞典「中村吉蔵」の解説

なかむら‐きちぞう【中村吉蔵】

劇作家、小説家。島根県出身。広津柳浪に師事し小説家として出発するが、東京専門学校卒業後、欧米に留学し帰国して劇作家に転じ、社会劇開拓の先駆となった。劇作「井伊大老の死」「大塩平八郎」、論文「日本戯曲技巧論」など。明治一〇~昭和一六年(一八七七‐一九四一

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世界大百科事典 第2版「中村吉蔵」の解説

なかむらきちぞう【中村吉蔵】

1877‐1941(明治10‐昭和16)
劇作家,小説家,演劇研究家。島根県生れ。小説家としての号は春雨。東京専門学校(現,早大)在学中の1901年,小説《無花果》が《大阪毎日新聞》の懸賞に当選して認められ,06年渡米,イプセンの影響を受けて,帰国後新社会劇《牧師の家》(1910)を発表。13年芸術座創立に参加,《剃刀》(1914),《飯》(1915)等松井須磨子の当り役となった社会劇を提供し,脚本部主任として活躍した。その後《淀屋辰五郎》(1918),《井伊大老の死》(1920)等の長編歴史劇,《原始時代》(1924)等の現代劇,《星亨》(1927)等の伝記劇と大作が多く,また大正末から母校で演劇史を講じ,浄瑠璃・歌舞伎研究を集大成した《日本戯曲技巧論》(1942)がある。

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世界大百科事典内の中村吉蔵の言及

【井伊直弼】より

…【小野 正雄】 桜田門外の変を舞台化することは江戸期には法的に禁じられていたが,河竹黙阿弥の手で,曾我の世界に脚色,雪中に曾我兄弟が祐経の乗物に近づく趣向を構え《蝶千鳥須磨組討(ちようちどりすまのくみうち)》(1863年2月,江戸市村座)として上演したが中止を命じられた。明治初年には解禁となり歌舞伎化も試みられたが,史実を劇化するには1920年7月東京歌舞伎座の《井伊大老の死》(中村吉蔵作)をまたねばならなかった。この作では社会劇的な歴史劇として,幕府崩壊期に苦悩しつつ自己の政策を断行する宰相直弼が形象化された。…

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