日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村梅玉」の意味・わかりやすい解説
中村梅玉
なかむらばいぎょく
歌舞伎(かぶき)俳優。3世中村歌右衛門(うたえもん)の俳名を初世とする。2世以後の屋号は高砂(たかさご)屋。
[服部幸雄]
2世
(1841―1921)京都生まれ。本名笹木徳数。初世中村鴈治郎(がんじろう)と並び、明治中期から大正初期にかけての関西劇壇を代表する名優。1907年(明治40)3世中村福助(高砂屋系)から2世梅玉を襲名。立役(たちやく)と女方(おんながた)を兼ねた。日蓮上人(にちれんしょうにん)をはじめ、『紙治(かみじ)』の孫右衛門(まごえもん)、『毛谷村(けやむら)』の六助、『先代萩(せんだいはぎ)』の政岡(まさおか)、『寺子屋』の千代、『太功記』の操(みさお)などが当り役。晩年はとくに老(ふけ)役がよかった。
[服部幸雄]
3世
(1875―1948)大阪生まれ。2世の養子。本名笹木伊之助。優美かつ気品のある女方で、養父とともに初世鴈治郎の一座に加わって娘役を勤めて認められる。1907年(明治40)10月、4世福助を継ぎ、鴈治郎の女房役を勤めて地位を固め、35年(昭和10)1月、3世梅玉を襲名した。初世鴈治郎の没後は東京に出て、15世市村羽左衛門(うざえもん)や6世尾上(おのえ)菊五郎の相手役を勤めて高い評価を受けた。『吃又(どもまた)』のお徳、『河庄(かわしょう)』の小春、『先代萩』の政岡、『合邦(がっぽう)』の玉手御前(たまてごぜん)などが当り芸であった。
[服部幸雄]
4世
(1946― )6世中村歌右衛門の甥(おい)、のち養子。1967年(昭和42)、加賀(かが)屋福之助から8世中村福助を襲名、さらに92年(平成4)、4世梅玉を襲名した。りりしい美貌(びぼう)の立役として活躍している。
[服部幸雄]