中村清二(読み)なかむらせいじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村清二」の意味・わかりやすい解説

中村清二
なかむらせいじ
(1869―1960)

物理学者福井県生まれ。1892年(明治25)帝国大学理科大学卒業。1900年(明治33)東京帝国大学助教授、1903~1906年ドイツ、フランスに留学して光学結晶学を研究、1911年東京帝大理学部教授。1912年(大正1)「偏光を用いてひずみを験する装置」で光弾性実験を行う。また、東洋音楽の理論をはじめ、液体拡散湖沼静振セイシュ)、三原山火山調査、日光東照宮の鳴き竜の調査、法隆寺などの古文化財の科学的調査、不知火(しらぬい)、魔鏡の研究など広範な分野で活躍。また大学教授二人が四国の丸亀(まるがめ)の一婦人の透視能力を実験して確認し、社会的に話題となった「千里眼事件」(1910)では、科学的研究の擁護のため透視実験を厳しく批判した。『物理実験法』(1934)は名著として知られた。

[井原 聰]

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20世紀日本人名事典 「中村清二」の解説

中村 清二
ナカムラ セイジ

明治〜昭和期の物理学者



生年
明治2年9月24日(1869年)

没年
昭和35(1960)年7月18日

出生地
福井県鯖江

学歴〔年〕
帝大理科大学(現・東大理学部)物理学科〔明治25年〕卒

学位〔年〕
理学博士〔明治40年〕

主な受賞名〔年〕
文化功労者〔昭和28年〕

経歴
第一高等学校を経て、明治33年東京帝大理科大学助教授。36年ドイツ、フランスに留学、39年帰国し、44年教授、のち理学部長。大正14年学士院会員、また学術研究会議会員、日本学術振興会委員などを務め、昭和5年定年退官、名誉教授専攻は光学と結晶学で、日本初の光弾性実験を試み、地磁気、測地の研究、湖湾などに起こる水波の定常振動(セイシ)の調査を行った。大正12年に関東大震災後の復興計画にも尽力。学士院の「明治前日本科学史」編纂委員も務めた。著書に「物理学実験法」「中村物理学」「体験の物理学」「自然と数理」「田中館愛橘先生」「幕末明治の隠れたる科学者松森胤保伝」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村清二」の解説

中村清二 なかむら-せいじ

1869-1960 明治-昭和時代の物理学者。
明治2年9月24日生まれ。44年東京帝大教授。光学,結晶学,音響学,地磁気学など幅広い研究をおこなう。また法隆寺など文化財の科学的調査で知られる。昭和28年文化功労者。昭和35年7月18日死去。90歳。越前(福井県)出身。帝国大学卒。著作に「物理学実験法」など。

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367日誕生日大事典 「中村清二」の解説

中村 清二 (なかむら せいじ)

生年月日:1869年9月24日
明治時代-昭和時代の物理学者
1960年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の中村清二の言及

【十二律】より

…これらの算法では律管の音響学的性質から音律に多少の誤差が生ずる。そこで田辺尚雄は音響学理論に基づく管口補正を行ったうえで十二律の管長を算出し,中村清二は同じく朱載堉の12等分平均律の管長を算出した。しかし中国では歴代尺度の制が異なるので,十二律の絶対音高は時代によって相違する。…

※「中村清二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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