中沢道二(読み)なかざわどうに

精選版 日本国語大辞典 「中沢道二」の意味・読み・例文・類語

なかざわ‐どうに【中沢道二】

江戸中期の心学者。名は義道。通称亀屋久兵衛。京都の人。手島堵庵を師として心学を修め、命を受けて江戸に下り参前舎を興して、関東心学の基礎を築いた。また、関西諸国も遊説し布教につとめた。道話名手で、その筆録道二翁道話」は刊本として広く読まれた。享保一〇~享和三年(一七二五‐一八〇三

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デジタル大辞泉 「中沢道二」の意味・読み・例文・類語

なかざわ‐どうに〔なかざはダウニ〕【中沢道二】

[1725~1803]江戸中期の心学者。京都の人。名は義道。通称、亀屋久兵衛。手島堵庵てじまとあんに師事。江戸に参前舎を開き、心学の布教につとめた。著「道二翁道話」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中沢道二」の意味・わかりやすい解説

中沢道二
なかざわどうに
(1725―1803)

江戸後期石門心学(せきもんしんがく)者。名は義道(よしみち)、通称久兵衛(きゅうべえ)、家号(やごう)亀屋で亀久とよばれる。号は道二。享保(きょうほう)10年8月15日、京都の織物職人の子に生まれる。幼年時代より宗教に関心をもち禅の修行を積んだが、中年になって布施松翁(ふせしょうおう)(1726―1784)の紹介で手島堵庵(てじまとあん)について心学を学ぶ。江戸に出て参前舎(さんぜんしゃ)を設立するなど、その布教活動は関東・関西の20か国に達した。彼の布教は一般庶民のみならず、時の老中松平定信(まつだいらさだのぶ)の幕閣メンバーであった播州(ばんしゅう)山崎藩主本多肥後守(ひごのかみ)忠可(ただよし)(1741―1795)をはじめとする諸藩主やその家中旗本御家人(ごけにん)などの武士にまで及んだ。また定信が設立した佃島(つくだじま)の人足寄場(にんそくよせば)の教導にあたるなど、石門心学普及の功労者となる。享和(きょうわ)3年6月11日没。

[今井 淳 2016年6月20日]

『柴田実編『日本思想大系42 石門心学』(1971・岩波書店)』『石川謙校訂『道二翁道話』(岩波文庫)』

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朝日日本歴史人物事典 「中沢道二」の解説

中沢道二

没年:享和3.6.11(1803.6.29)
生年:享保10.8.15(1725.9.21)
江戸後期の石門心学者。名は義道,通称は亀屋久兵衛,道二は号。京都の機織職人の子に生まれ,家業を継いだが,若年より妙法の真義を明らかにすることを望み,研鑽を積んだ。40歳を過ぎて手島堵庵の弟子となり,代講を勤めるまでになった。天明3(1783)年,堵庵の要請により江戸日本橋に心学講舎参前舎を設立し,関東一円の布教基盤を充実させた。道二とその門人による心学講舎は関東をはじめ中部,東北地方に広がりをみせた。聴講者は,一般庶民はもとより,山崎藩主をはじめ諸大名20名を超える一方,佃島の人足寄場の教諭方としても貢献した。教化方法の面では,庶民の耳に訴えて心に納得を求める「道話」を重んじ,世間一般より心学即道話とみなされる端緒を開いた。門人によってまとめられた『道二翁道話』『道二翁道話続編』には,石田梅岩の社会批判的教説と堵庵の主観的人生哲学の教説が融合された道二独自の心学思想がよく表れている。<参考文献>石川謙『石門心学史の研究』,柴田実編『石門心学』(日本思想大系42巻)

(石川松太郎・天野晴子)

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改訂新版 世界大百科事典 「中沢道二」の意味・わかりやすい解説

中沢道二 (なかざわどうに)
生没年:1725-1803(享保10-享和3)

江戸中期の石門心学者。名は義道,通称を亀屋久兵衛といい,道二は号。京都西陣の機屋に生まれ,40歳を過ぎて手島堵庵の門に入り,1779年(安永8)関東布教のため江戸へ下向し,参前舎を創設した。関東をはじめ五畿七道27ヵ国に遊説し,彼と彼の門下によって各地に設立された心学講舎は21舎に及ぶ。また播磨山崎藩主をはじめ,多くの大名に心学を説いている。松平定信が作った佃島人足寄場の教諭方にも就任した。《道二翁道話》がある。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「中沢道二」の意味・わかりやすい解説

中沢道二【なかざわどうに】

江戸中期の石門心学(せきもんしんがく)者。京都の人。名は義通(よしみち)。初め禅を学び,のち,手島堵庵(とあん)について心学を修めた。江戸へ行き1783年参前舎(さんぜんしゃ)を興して,関東の心学普及に貢献。多くの大名に心学を説き,また江戸石川島(いしかわじま)人足寄場(にんそくよせば)の教諭方にも就任。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中沢道二」の解説

中沢道二 なかざわ-どうに

1725-1803 江戸時代中期-後期の心学者。
享保(きょうほう)10年8月15日生まれ。家業の織職(おりしょく)をつぐ。40歳をすぎて禅をまなび,のち手島堵庵(とあん)に師事。堵庵の要請で,天明3年江戸に心学講舎参前舎をつくり,関東・中部・東北地方に心学をひろめた。享和3年6月11日死去。79歳。京都出身。名は義道。通称は亀屋久兵衛。著作に「道二翁道話」など。
【格言など】堪忍の成る堪忍は誰もする成らぬ堪忍するが堪忍(「道二翁道話」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「中沢道二」の解説

中沢道二
なかざわどうに

1725.8.15~1803.6.11

江戸中・後期の心学者。名は義道,通称は亀屋久兵衛,道二は号。京都の機織の家に生まれ家業を継いだが,40歳をすぎて布施松翁(しょうおう)の勧めで手島堵庵(とあん)に入門,心学を修めた。のち堵庵の命により関東に下り,江戸に参前舎を設立。心学の普及に努め,庶民層にとどまらず松平定信ら大名にも信奉者を得,人足寄場(よせば)の教諭方にもなった。京都の上河淇水(うえかわきすい)の活動ともあいまって,石門心学の全盛期を築いた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中沢道二」の意味・わかりやすい解説

中沢道二
なかざわどうに

[生]享保10(1725).8.15. 京都
[没]享和3(1803).6.11. 江戸
江戸時代中期~後期の心学者。名は義通,通称は亀屋久兵衛。京都西陣の機屋に生れ,日蓮宗,禅宗などの影響を受けたが,のち手島堵庵に心学を学んだ。安永8 (1779) 年剃髪して名を道二と改め,江戸に行き参前舎を開くかたわら諸国を道話に歩いた。『道二翁道話』 (1824) はその道話の聞書である。

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旺文社日本史事典 三訂版 「中沢道二」の解説

中沢道二
なかざわどうに

1725〜1803
江戸中・後期の石門心学者
通称亀屋久兵衛。京都西陣の織職であったが,40歳を過ぎて手島堵庵に心学を学び,堵庵の命で関東に赴き,1779年江戸に参前舎を開いた。平易な事例をもって道話を講じ,関東心学の普及に貢献した。著書に門人の編集した『道二翁道話』がある。

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367日誕生日大事典 「中沢道二」の解説

中沢道二 (なかざわどうに)

生年月日:1725年8月15日
江戸時代中期;後期の石門心学者
1803年没

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デジタル大辞泉プラス 「中沢道二」の解説

中沢道二(どうに)

古典落語の演目のひとつ。

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世界大百科事典(旧版)内の中沢道二の言及

【心学早染草】より

…悪魂のしわざによって放蕩したことから勘当され,盗賊にまで落ちたが,善魂の勢力挽回によって教化されるという,黄表紙としては理屈くさい作品であるが,善悪の魂の争闘と,理太郎の行動とを二重の画面にあらわしたおもしろさで好評を博した。江戸における中沢道二の心学の流行をとり入れ,寛政改革の時代的風潮に応じようとした作者の機敏さもうかがわれる。この善玉悪玉の趣向は,以後小説にも演劇にも多く模倣された。…

【石門心学】より

…堵庵は門弟の統制にも意を用い,本心を発明したものに断書という印可状を与え,講舎の社中には社約を作らせた。 堵庵の門弟中沢道二は1779年(安永8)江戸へ下って参前舎をたてたが,播州山崎藩主本多忠可をはじめ10藩の藩主が道二の門に入った。町人の学問が上流武家へ浸透したのである。…

【道二翁道話】より

…江戸中期の心学者中沢道二の道話を編集したもの。6編15巻。…

※「中沢道二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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