織豊・江戸初期の公卿,歌人。内大臣通為の子。1568年(永禄11)元服,累進して75年(天正3)参議,79年には正三位権中納言となる。80年1月辞官。同6月宮女のことにより勅勘を被り京都を出奔し,99年(慶長4)の勅免までの19年間丹後に在国したが,1586年8月13日出家し,也足軒素然と号した。
執筆者:橋本 政宣 はじめ三条西実枝(さねき)に学び,のち細川幽斎より古今伝授の正統を継ぐ。源氏注釈書《岷江入楚(みんごうにつそ)》55巻を著し,諸種の古典を筆写するなど古典学者として大きな功績を残す。家集は《中院也足軒詠七十六首》ほか2種が私家集大成六に収められ,ほかに種々の詠草が伝存する。日記に《継芥(けいかい)記》がある。
執筆者:柳瀬 万里
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安土(あづち)桃山時代の歌人、古典学者。幼名は松夜叉麿。1586年(天正14)に剃髪(ていはつ)して素然とし、也足軒(やそくけん)と号した。父は通為(みちため)、曽祖父(そうそふ)に文明(ぶんめい)期(1469~87)の歌人通秀(みちひで)、外祖父に古典学者三条西公条(さんじょうにしきんえだ)がいる。80年に正親町(おおぎまち)天皇の勅勘を被って丹後(たんご)(京都府)に出奔し、以後許されて帰京するまでの19年間その地にとどまる。おりしも丹後田辺(たなべ)城に入った細川幽斎(ゆうさい)と親交を結び、古今伝授(こきんでんじゅ)を受けるとともに、かねて『源氏物語』の諸注を集成したいとの意を受けて、通勝は10年余りの苦節のすえ、98年(慶長3)に膨大な量の『岷江入楚(みんごうにっそ)』55帖(じょう)を完成させる。帰京後は歌壇に迎えられ、『通勝集』など多数の歌作のほか、連歌(れんが)・古典研究がある。
[伊井春樹]
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(相馬万里子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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…その子孫が公条(きんえだ)―実澄(さねずみ)(実枝)―実条であり,彼らの手で《明星抄》《山下水(やましたみず)》が成った。実枝の甥の中院通勝(なかのいんみちかつ)が細川幽斎の協力を得て完成した《岷江入楚(みんごうにつそ)》もこの学統を受けたもので,中世古注の集大成である。なお室町末から江戸初期にかけては,ほかに《覚勝院抄》《孟津(もうしん)抄》《紹巴(じようは)抄》などの古注があり,特に《湖月抄》は簡便な注によって,永く標準的な流布本の位置を占めた。…
…《源氏物語》の注釈書。中院通勝(なかのいんみちかつ)著。1598年(慶長3)成立。…
※「中院通勝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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