中院通勝(読み)ナカノインミチカツ

デジタル大辞泉 「中院通勝」の意味・読み・例文・類語

なかのいん‐みちかつ〔なかのヰン‐〕【中院通勝】

[1556~1610]安土桃山時代学者歌人。号、也足軒。法名、素然。和歌細川幽斎に学び、古今伝授を受けた。源氏物語の注釈書「岷江入楚みんごうにっそ」55巻を著した。

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精選版 日本国語大辞典 「中院通勝」の意味・読み・例文・類語

なかのいん‐みちかつ【中院通勝】

  1. 安土桃山時代の古典学者。内大臣通為の子。号は也足軒。法号素然。細川幽斎に師事して古今伝授を受け、和歌にすぐれた。「源氏物語」の注釈書「岷江入楚(みんごうにっそ)」五五巻がある。弘治二~慶長一五年(一五五六‐一六一〇

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改訂新版 世界大百科事典 「中院通勝」の意味・わかりやすい解説

中院通勝 (なかのいんみちかつ)
生没年:1556-1610(弘治2-慶長15)

織豊・江戸初期の公卿,歌人。内大臣通為の子。1568年(永禄11)元服,累進して75年(天正3)参議,79年には正三位権中納言となる。80年1月辞官。同6月宮女のことにより勅勘を被り京都を出奔し,99年(慶長4)の勅免までの19年間丹後に在国したが,1586年8月13日出家し,也足軒素然と号した。
執筆者: はじめ三条西実枝(さねき)に学び,のち細川幽斎より古今伝授の正統を継ぐ。源氏注釈書《岷江入楚(みんごうにつそ)》55巻を著し,諸種の古典を筆写するなど古典学者として大きな功績を残す。家集は《中院也足軒詠七十六首》ほか2種が私家集大成六に収められ,ほかに種々の詠草伝存する。日記に《継芥(けいかい)記》がある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中院通勝」の意味・わかりやすい解説

中院通勝
なかのいんみちかつ
(1556―1610)

安土(あづち)桃山時代の歌人、古典学者。幼名は松夜叉麿。1586年(天正14)に剃髪(ていはつ)して素然とし、也足軒(やそくけん)と号した。父は通為(みちため)、曽祖父(そうそふ)に文明(ぶんめい)期(1469~87)の歌人通秀(みちひで)、外祖父に古典学者三条西公条(さんじょうにしきんえだ)がいる。80年に正親町(おおぎまち)天皇の勅勘を被って丹後(たんご)(京都府)に出奔し、以後許されて帰京するまでの19年間その地にとどまる。おりしも丹後田辺(たなべ)城に入った細川幽斎(ゆうさい)と親交を結び、古今伝授(こきんでんじゅ)を受けるとともに、かねて『源氏物語』の諸注を集成したいとの意を受けて、通勝は10年余りの苦節のすえ、98年(慶長3)に膨大な量の『岷江入楚(みんごうにっそ)』55帖(じょう)を完成させる。帰京後は歌壇に迎えられ、『通勝集』など多数の歌作のほか、連歌(れんが)・古典研究がある。

[伊井春樹]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中院通勝」の意味・わかりやすい解説

中院通勝
なかのいんみちかつ

[生]永禄1(1558).京都
[没]慶長15(1610).3.25. 京都
安土桃山時代の公家歌人,文学者。号,也足軒 (やそくけん) 。法号,素然。和歌にすぐれ,天正7 (1579) 年正三位権中納言となったが,翌8年正親町天皇の怒りに触れて出奔,丹後に下り,出家して歌学の師細川幽斎庇護を受けた。幽斎指導のもとに『源氏物語』の研究に専心,慶長3 (98) 年注釈書『岷江入楚 (みんごうにっそ) 』 (55巻) を完成。翌年許されて京都に帰り,公家歌壇に重きをなした。家集『中院大納言集』 (『也足軒素然集』) ,『詠百首和歌』。子の通村,曾孫の通茂も江戸時代の公家歌人として有名。

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朝日日本歴史人物事典 「中院通勝」の解説

中院通勝

没年:慶長15.3.25(1610.5.18)
生年:弘治2.5.6(1556.6.13)
安土桃山・江戸期の公卿。也足軒と号す。法名素然。内大臣通為の3男,母は三条西公条の娘。極官は権中納言。伯父にあたる三条西実枝に和歌を学び,若いころから和歌会などに出席。元亀1(1570)年などの残欠本であるが,朝廷の諸行事や織田信長の越前(福井県)進攻などを綴った日記『継芥記』が知られる。天正8(1580)年,正親町天皇の勅勘を受け出奔,丹後(京都府)の細川幽斎のもとに身をよせ,歌道を学んだ。慶長4(1599)年勅免,以後,宮廷歌壇の指導者的な立場にあって後進を指導した。古典学者としての功績も多大で,『源氏物語』の注釈書『岷江入楚』は著名。

(相馬万里子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中院通勝」の解説

中院通勝 なかのいん-みちかつ

1556-1610 織豊-江戸時代前期の公卿(くぎょう)。
弘治(こうじ)2年5月6日生まれ。中院通為(みちため)の3男。天正(てんしょう)7年正三位,権(ごんの)中納言兼侍従。翌年天皇のとがめをうけて官を辞し丹後に出奔。出家し,細川幽斎に「古今和歌集」をまなぶ。慶長4年ゆるされて京都にもどる。伯父三条西実枝(さねき)に師事し古典研究でも知られる。慶長15年3月25日死去。55歳。号は也足軒。法名は素然。著作に「岷江入楚(みんごうにっそ)」,日記に「継芥(けいかい)記」。

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367日誕生日大事典 「中院通勝」の解説

中院通勝 (なかのいんみちかつ)

生年月日:1556年5月6日
安土桃山時代;江戸時代前期の公家
1610年没

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世界大百科事典(旧版)内の中院通勝の言及

【源氏物語】より

…その子孫が公条(きんえだ)―実澄(さねずみ)(実枝)―実条であり,彼らの手で《明星抄》《山下水(やましたみず)》が成った。実枝の甥の中院通勝(なかのいんみちかつ)が細川幽斎の協力を得て完成した《岷江入楚(みんごうにつそ)》もこの学統を受けたもので,中世古注の集大成である。なお室町末から江戸初期にかけては,ほかに《覚勝院抄》《孟津(もうしん)抄》《紹巴(じようは)抄》などの古注があり,特に《湖月抄》は簡便な注によって,永く標準的な流布本の位置を占めた。…

【岷江入楚】より

…《源氏物語》の注釈書。中院通勝(なかのいんみちかつ)著。1598年(慶長3)成立。…

※「中院通勝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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